理屈と心構え

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先日YouTubeを流し見していたら、オススメに精神科医の名越康文さんがゲーム実況ものが出てきました。タイトルとサムネイルに『精神科医が分析する「リトルナイトメア2」#5 学校遍 アイデンティティって人間にとって救いであり牢獄なのかもしれんね…』とあり、目を引きました。

この中で、名越さんは親に求められたアイデンティティを実現する先生がその牢獄のなかで自由を発揮できない苦しさのようなものについて話していました。

人が「主観の檻」に生きていると感じた話は以前のブログに書いた通りです。同時に「私とは○○である」という問いを命の中に持って生まれてきているのではないかと、それにこたえることが人間として生きているということなのではないかと考えてきたので、皆同じようなことを考えてはいるんだなと思いました。

生きる中で感じる息苦しさは外からやってきたものではなく、外にあったものをすべて真実として信じて支え続ける努力の中にあるのだと思います。「こうでなければならない」「こうあるべきである」とは「理想」である限り名越さんのおっしゃる通り「救い」ではあるけれど、それにしがみついている限りは「牢獄」となり自らを苦しめるものになります。

生きていれば変えられないものはいくらでもあり、価値観と自分が合致しないことによる苦悩はその変えられないものを価値観のものさしによってどうしても受け入れられないということにあるように感じます。

価値観を変えたつもりでも、それでも苦しいことがあります。いまいちすっきりしないことがあります。頭では十分理解し、人に何時間でもそれを語ることができるわたしも、このようなブログを書きつづけ、アプリまで開発して売っても、「そのものを生きる」ということにはつながらずにもやもやするものです。

自分の気持ちの状態が「良い」と感じる時と、なんだか自分を好きになれずもがいてもどうしようもない時があり、この1カ月近く自分を観察し、思い出したことがありました。

この活動を始める前に、モラハラにあった経験などから、自分の人間関係の構築方法に疑問を抱き、なぜ問題のある人に惹かれやすいのか、その原因や対処法を探しました。同時に通っていた通信制の大学のスクーリングで受けた心理学の授業で交流分析の授業があり、自分のエニアグラムというものを作ったときに自分にとある傾向があり、それをより良くするには逆の傾向を強める方が良いということを知りました。以前から何度も交流分析のエニアグラム診断は受けており、結果はたいてい同じものでした。

交流分析は一人の人間だけをフォーカスするのではなく、他者との交流の中で発現する5つの自我状態にフォーカスします。相手によって自分の出かたや話し方を変えるということは誰もが自然にやっていることです。交流分析で分類する自我状態とは「保護的な親の自我状態NP」「批判的な親の自我状態CP」「自立した大人」「自由な子どもの自我状態FC」「順応する子どもの自我状態AC」の5つになります。

わたしはNPとAが非常に高く、FCとACは真ん中くらいで、CPが比較すると低いという結果が出やすかったのです。授業では、NPを低くするのではなく、CPを高くする方が簡単だということを教わりました。

また、同じころに自分が相手を甘やかしてしまったり「No」をはっきり言わなかったりするということが、自信のなさにあるような気がしたため、護身法の体験クラスに参加しました。いきなり「エイヤッ」と始まるのかと思いきや、座学から始まるのですが、その中で「心構え」ということを言われました。襲い掛かってくる人にどう対抗するのかを学ぶより先に、「しつこくて押しの強いおばさんの誘いを断る」ということを実地でやります。

つまり、暴力で襲い掛かる相手をパンチしたりキックできることが断る勇気をくれるのではなかったということです。

CPを高くするためにも、しつこくて押しの強いおばさんの誘いを断るためにも、自分の中に新しいキャラを育てることが重要なのだと理解しました。

これを心構えと呼んでもいいのかと思います。不思議なことに、そのキャラを思い出すと自動的に背筋がピンと伸びて怖いものが無くなるのです。相手が大きな声を出していようが、こちらの罪悪感を刺激してこようが、「もういい加減にしろ!」と言える感じになるのです。そのキャラにフォーカスする、といってもいいでしょうか。

私は今でも古く慣れたアイデンティティに自ら囚われて、この新しいアイデンティティに移行できないことがあります。必要に応じていろいろなアイデンティティを自分の中に育てることで、それが救いになることもあります。

上手に相手に嫌な気分をさせずに断れるキャラというのも育てていきたいし、親身になれる論理的なキャラもそのまま持っていたいのです。

変わりたいなら積極的にキャラを育てればよいのですが、状況や環境が変わり、どうしても今までのアイデンティティではいられないこともあります。そのアイデンティティに救われたことにこだわって変われない時はとても生きづらくなるでしょう。そういう時はアイデンティティに対する恩もあるので、捨て去るのではなく適材適所ということでしばらくお休みしてもらうと考えるのはどうでしょうか。全く違う人になってしまう必要はなく、大事にしてきた価値はそのままに、新しいキャラを育てるのだという感覚で鏡に向かってみると、名越さんがおっしゃっていたように、アイデンティティの「牢獄」は「救い」となる気がします。

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