去年の秋、母がなくなりましたが、わたしは長年難病を患っていた母の晩年を世話せず、看取ることもしませんでした。
母が毒親だったからではありません。
わたしの母という人は、尊敬できるところと、わたしには到底相容れることができない価値観を持った一人の人間でした。
最後に看取ることができなかったのは、とても寂しい悲しいことでした。一番苦しかっただろう時に、そばにいてあげられなかったことも非常に心残りではあります。でも、そう思える自分の気持ちの余裕を残すために、わたしは母と距離を置くことを選びました。
とても近しい仲の良い母娘だったと思います。多くの価値観を母からもらい、その中から自分の知識や経験から自分なりの価値観を形成していきましたから、合っていた価値観に関しては、他の誰よりもお互いに理解し合えていた存在だと思います。母にしてみれば分身のようなものだったのかもしれません。実際そう言っていたこともありました。
たびたび大きな病気をした小学校時代に、わたしのこの活動の原点となる『アンネの日記』を買ってきてくれて、心の友として日記を書くことを教えてくれたのも母でした。
大人になってからも一緒に旅行し、腕を組んでショッピングに出かけ、おいしいものを食べ歩き、いろいろなことをシェアし合ってきました。母はとても社交的で友だちがすぐにできるような人でしたが、わたしはどちらかというと引っ込み思案な方で、二十歳くらいまでは親友が母と言えるほどでした。ずうっと母にいろいろなことを打ち明け、一緒に出掛けていました。
ところが、モラハラにあって自分に自信を無くして自尊心が大きく揺らぎ、それまでの人生での転機が小さなことに思えるくらいの自尊心の危機と転機を迎えました。自尊心は価値観に直結しています。
そこで、自分の価値観を総点検してみたところ、自分があることを大きく誤解していたことを理解しました。部分的には理解していたのですが、できていなかったことがありました。できていないことに気付いたといった方がよいでしょうか。
それは、「優しさ」を誤解していたということです。「優しさ」には相手を思いやるがための「厳しさ」というものがあるのは頭ではわかっていました。でも、常に自己犠牲で解決することが多かったと思います。その場は自己犠牲を払って、後で埋め合わせできると思っていたのです。とりあえずその場を取り繕い、自分を何かで慰めるか、人前で相手を皮肉で刺すかしていたと思います。
掃除を例にとって説明しますと、二人以上の人がいる場所では、掃除を誰がやるのかということが問題になります。わたしはこういうシチュエーションで積極的に掃除をする方を選ぶタイプの人間です。それをわたしの価値として思ってきたからです。掃除が気持ちよく好きだということもありますが。
自己犠牲が美徳であるという価値観がそれを支えていました。また、積極的に選んだという点においてわたしは「押し付けられた人」ではなくなるという考え方とも捉えることができます。
でも、掃除がめんどくさいことだってあります。わたしの深層心理の中に、「後で」得られる見返りであったり、慰めであったり、仕返しであったりを期待していないと言ったら嘘になります。仕返しと言っても皮肉を言うくらいではありましたが、相手の自尊心を傷つけることが目的なので良くない方法だと思います。
モラハラにあったことが教えてくれたのは、「いい人」でいることを再検討する必要性だったと思います。「いい人」でいようとしながら、「対等な関係」を望むという矛盾した欲求があったことに気がついたのです。
「いい人」でいたいというわたしの願望を実現することが、相手にとって「利用できる都合のいい人」になっていました。言葉や態度の暴力を使って慰めや人前での皮肉を封じられたので、相手をすごく恨みました。自分の自己犠牲の美徳に酔うこともできなくなっていました。相手が変わってくれれば、私と同じ価値観を持つように変わってくれれば、対等になれるのにと思っていました。一生懸命相手を変えようとしたり、変えられない自分を責めたりしました。
でも、結局その場の空気が悪くなることを避けて「いい人」を選ぶよりも、自分にも相手にもけじめをはっきりつけて「ノー」を言うことがお互いのためだと思うよになり、もしも「ノー」を言って相手が離れてしまうなら、それは「対等な関係」を築ける相手ではないということだと認めて自分を変え始めました。
その中で、母との関係も変化していきました。
母のことを大切に思っていたからこそ、母の直接の要求にこたえることがお互いのためにならないと考え、自分の気持ちに正直に母と距離を置くことを選びました。母の名誉のために書きますが、母からの虐待は全くありませんでした。むしろとても良くしてもらったと思います。何かが、我慢できなかったのです。
このことは、当時ですら今日理解しているほどには理解できていなかったと思います。まさに、本日、このブログを書く数時間前にこの気付きを得たのでした。もちろん、ちゃんとぶつ切りには理解していたのですが、急に繋がったという感じです。
「優しさ」「厳しさ」というものも、それを使って何を表現しようとしているのか、自分の真の目的を理解しなければ、その言葉の意味とはかけ離れた言動となってしまうということです。少なくとも、わたしの意図が母を苦しめたり悲しませたりしようということではなかったことは、わたしが一番よく知っているのだから、誰が何と言おうとも、母の気持ちに沿えなかったことを責めなくてもいいと気がつきました。
以前のブログ「万物の二面性」でも書きましたが、包丁は使う人の意図によって脅しや人殺しにも料理にも使えるとおり、優しさも厳しさも自分勝手な都合で使うことができてしまうのだということです。だから、難しい選択を迫られているときほど、自分の真意を厳しく問わなければならないと思います。
その場で双方の合意が得られるに越したことはありませんが、自分にその力がなくお互いのWin-Winを導き出せない事柄に際して、わたしは「積極的な自己犠牲」による解決を選ぶことが多かったのですが、自分が恨みを抱えるよりも相手に自分を恨ませた方がよいとその時は思ったのです。
でも、やっぱりお互いの納得と合意が得られる着地点を上手に見つけられるようになりたいと切に思い、そのための必要な知識・経験・訓練・道具があるならば、積極的に学んでいきたいと思っています。
上手にそれができるようになる前に母が亡くなってしまったことは、とても残念なことです。
そして、学んだことを形にできるなら何らかの形にして、わたしは母にはできなかったけれど、いつか同じような状況にいる他の誰かの一助となれれば幸いです。
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