今回は「女性は差別されている」という「考え」について考察してみたいと思います。非常に微妙な問題なので、これまではっきりと書くのを躊躇してきた内容です。いろいろ本を読んで書き方の方向性が見えたので、思い切って書いてみることにしました。
差別はある
女性であるというだけで暴力を受けた人の存在は女性に対する差別の存在を示唆しているし、それは事実だと思います。ジェンダーギャップ指数というものが毎年調査されて発表されているくらいですから、女性に対する差別や偏見があるのもその数値を見れば事実でしょう。
しかし、「すべての女性がすべての男性からすべての瞬間において差別されている」という理解でこれを捉えるのは偏りのある考え、偏見であると思います。事実は本当にそうでしょうか。女性が男性から尊敬されたり敬われたり愛されたり可愛がられたりする瞬間はないでしょうか。すべての男性が女性を差別していると言われたら傷ついてしまう男性もいるのではないでしょうか。どの時代も何千、何万、何十万年にもわたって途絶える瞬間なく差別されていたのでしょうか。母系社会が存在したこともなく。
事実をちゃんと調べたことはあるでしょうか。歴史を紐解いてみたことはあるでしょうか。Googleで母系制とか母系社会を調べてみたことがあるでしょうか。
アメリカの人類学者ジョージ・マードックが調査した世界の583民族集団のうち、84の民族集団が母系制であったとあります(出典:『母系社会の構造―サンゴ礁の島々の民族誌』須藤健一著)。ジョージ・マードックは1985年に亡くなっているので、調査したのは少なくとも37年以上前のデータではありますが、その間に消滅していなければすべての社会においてすべての女性がすべての男性に差別をされ続けているというのは事実ではないことがわかります。
事実は強い
事実はすでに起こってしまったことですから、念じようが隠そうが無視しようがごまかそうが、一ミリも変えることはできません。
でも、事実が人の意見を変えることもできません。
事実はいつも人間の考えや常識や理想や願いや祈りよりもパワフルです。
それでも事実を無視することは可能です。葛藤があったり、辻褄合わせが永遠に必要になったりするかもしれませんが、自由に事実を無視することは可能です。
しかし、事実を把握すると事実を無視していたときとは比べ物にならないほどの大きな力を持つことになります。
事実把握が非常にパワフルであるのは、他人を説得するときではありません。これは以前のブログ「『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』感想」で紹介した中に詳しくある通り、対立する議論を行っている両者は、自説を証明する証拠しか探さないし採用しないからです。こういう現象を心理学では「確証バイアス」といいます。
また、他人を説得するというのはまったく効果がないどころか、逆効果であることが心理学では「ブーメラン効果」という現象として説明されています。これは「説得者がコミュニケーションによってほかの人物を説得しようとするとき、説得をすることによって、説得される側が説得者の説得意図とは逆の方向に意見を変えてしまう現象」(出典:Wikipedia)です。
だからこのブログでわたしがいくら「差別は、差別する側とそれを信じる側によって成立する」と書き続けても、反対意見を持っている人に対しては何を変える力も持ちません。差別という事実があることは疑いようもないのですが、今この瞬間わたしが全世界のすべての男性から女性として差別されているという考えには賛成することができませんし、未来永劫差別されるのだという考えにも、永続的に忘れられることなく差別を受けている状態だという考えにも賛成することができません。
父親や兄弟や恋人や結婚相手などの身近な男性からも絶えず差別されているでしょうか。
見知らぬ通りすがりの男性からも差別されているでしょうか。すれ違う瞬間に何か差別的な行為をされているでしょうか。
この「女性は差別されている」という「考え」は、こういう風に言い換えなければならないのだと思うのです。
何かを決める瞬間に、差別する側もされる側も「女性は差別される」という考えに基づいて、言動を選び続けている。
「女性は差別されている」という考えがなければ、その都度の目的に適った一番気持ちの良い言動を選ぶことができるでしょう。
差別という過去の事実はあり、未来に差別される可能性はいつでもあるでしょう。
過去の事実から来る未来の不安な予測のために、事実を無視して「すべての女性がすべての男性からすべての瞬間において差別されている」と信じるならば、誰も差別していない瞬間にすら恒常的な戦う構えのためにエネルギーを使ってしまいパフォーマンスが下がり(「『ステレオタイプの科学』感想」参照)、パフォーマンスが悪いために男女関係なく評価が下がり、差別志向のある男性に「ほら見たことか、やっぱり女性はダメだ」といいように使われてしまい(確証バイアス)、「女性は差別されている」ということを自分に証明する(確証バイアス)ことになるでしょう。
ところが、「女性は差別されている」「わたしは女性なので差別される」という自分の中の偏見をなくすと、差別されていない瞬間に気がつくようになります。差別しない男性にも気がつくようになります。
差別された時だけ抗議の声をあげればいいので、常に戦う姿勢でいる必要がなくなり、パフォーマンスが上がります。パフォーマンスが上がれば、男女関係なく評価が上がります。
事実を把握できれば、このようにパワフルになります。目的がクリアになり、何をしなければならないのかがわかるようになるからです。
このパワフルでクリアな状態が、わたしたちの本来の姿ではないかと思います。
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