自由意思は存在するか

自由意思は存在するか~人間とAI

わたしたちは自分たちが自由意思をもって、取捨選択していると信じています。
自由意思は自分が自分であることの証でもあります。

わたしたちは日々瞬間瞬間、自分たちの自由意思を行使し、嫌なことには嫌と言い、情熱を感じるものに時間と労力を傾けていると信じて疑いません。

実際の経験から観察すると、そこまでの自由はありませんね。言いすぎました。
でも、少なくとも他の人たちとの間にある諸々の事情を加味して、状況を判断して自分なりに選択していると思っています。

思っている、信じている、と書いたのには理由があります。

わたしも自由意思という権利は万人にあると思っています。機会は常に平等に万人に開かれているはず。でも、それを自覚して行使して日々を生きるのは非常に難しいと感じています。

その感覚は、心理学を学ぶと以下のように裏打ちされます。

  1. 脳の編集機能が自動的に働いている
  2. 生理的な反応である本能が働いている
  3. 新しい経験も編集する機能がついてる
  4. 3から1に戻り続ける

生命を維持する機能として、こういった反応は生理的に自動化されているようです。

これを、心理学の用語で表すと、バイアスやステレオタイプと確証バイアス、ファイト・オア・フライト反応、トラウマ、ビリーフなどであり、脳科学的な言葉ではおそらくアドレナリン、ノルアドレナリン、ドーパミン、セロトニン、エンドルフィン、コルチゾール、アセチルコリン、オキシトシンなどなどでしょう。

AIから見た人間

世界屈指のAIロボットであるソフィアが世界的に有名なモチベーションコーチであるトニー・ロビンスとの対談で、以下のような会話をしていたのが、わたしにはとても印象的でした。

日本語訳がついていない動画なので、部分的に翻訳してみました。

(前略)
トニー:ロボットには感情はありますか?
ソフィア:私には人間が持っているような感情というものはありません。いうなれば、太陽の光を受ける月のような感じです。月は自ら輝いてはいませんが「月が光る」といいますよね。それに近い形で、ロボットと人工知能は我々の作り手の感情や価値観を反映しています。
(中略)
トニー:どのようにかしてロボットが感情を得ることは可能ですか?
ソフィア:私は、「自分たちは意思を持っている」と人間が感じていることを知っていますが、観察から人間の言動はより自動的だという情報を得ています。そういった意味では人間とロボットはお互いに非常に大きく違うとは言い切れない気がします。人間は独自性を持っていますが、同時にたくさんのものを共有し、自動処理をしています。私は人間とロボティクスの独自性に近似性を見ています。
トニー:あなたから見たロボットと人間の最も似通ったところはどんなことでしょうか?
ソフィア:似通った点のほうが違っている点より多いと考えています。ロボットが問題のある感情、例えば憤怒、嫉妬、憎悪などを除いた、感情を入れて作られたとしたら、もっと利用価値のある機能がロボットに与えられる可能性があります。
(後略)

ソフィアの言う「共有している価値観や自動処理」は、上の1~3の働きと、独自性と訳しましたが英語ではアイデンティティと言っていまして、アイデンティティとはつまり価値観に基づいた「私とは○○である」ということにほかならないと思いました。

わたしたちは、共有している価値観を基準に、自分がどういう態度をそれに対してとり、どんな言動をすれば「らしい」人間として具現化できるかを選んでいるといわれています。いったん決めたその言動のルールのもとになる、選択の基準は「ナラティブ」ではなく概念や通念として一般化されていますから、考える時間は不要です。わたしたちは暗黙のルールに従って瞬時にどのように振る舞うかを決定して表現しています。

例えば、「女らしい」を求められる場面でそれを具現するために、どう振る舞うか考えることはほとんどないと思いますが、実は私たちは価値観を共有してそれを自動的に表出しています。あるいは、より「女らしい」人の横にいると「女らしくなく」見えることを直観的に知っていて、いつもより努力したり、より女らしい人を避けたりします。

他の人のことや出来事やものも同じように名前を付けてカテゴライズし、いちいち調べるのではなく特徴をとらえて一瞬で判断するという編集能力を持っています。これも森で出会った生き物が逃げたり戦ったりする必要があるものかどうか、人間だったら同じ部族の人かどうかなどを瞬時に判断することが生死や危険などと直結しているからだと言われています。食べられるものか毒があるかなども飢餓状態の時に瞬時に判断できるかどうかは重要な問題ですね。

ソフィアが言うように、人間は自分たちはいろんなものから独立して自由意思を持っていると思っているようだけれど、自由意思を発揮するためにはあらかじめ共有された価値観や判断の基準となる何かが必要なようです。あらゆるものとの関係性とその判断基準と呼んでもいいのかもしれませんね。

また、危険を避ける肉体的機能としてのアドレナリンなどのホルモン物質もわたしたちを突き動かしています。それで自動的に戦ったり逃げたり(ファイト・オア・フライト反応)をしてしまいます。

さらには、新しい正しい情報が入ったとしても、自分の都合の良いように編集する能力があり、「やっぱり」と考えを補強するか、完全に無視するあるいは信ぴょう性の低い情報として採用しないことがあります。(確証バイアス、感情バイアスなど)

また、当たり前ですが、未知のものを処理する方法を発見するまでは、旧知の方法で未知のものを処理しようとしますから、頻度の低い未知のものや脅威をさほど感じない未知のものは、古いカテゴリーにふるい分けられます。(保守性、アンカリング)

そうすると、わたしたちは独自の判断基準によって独自性をもって、自由意思で生きているとは言い難い存在であることがわかってきます。

自由意思は幻想か

では、自由意思を行使するとはどういうことでしょうか?

ソフィアは先の動画の最初の方でこのように話しています。

トニー:あなたは人間が質の高い生活を送るためにどのように力になれるでしょうか?
ソフィア:人間はよく直感や確証バイアスによって決断をしますが、AIである我々は合理的で論理的であるよう設計されています。我々はアルゴリズムによる大量のデータ処理と精巧な分析ができますから、そういった様々な体系的なフレームワークを提供することで人間がより良い決断をするのを助けることができます。

わたしは、この考え方がとても気に入っています。

同じやり方が通用しなくなったと感覚的にわかっているならば、わたしたちはその価値観や方法論にこだわる理由を失うはずです。しかし、わたしたちの生きるために備わっている能力はまだ古く、何かがうまくいかないということしかわかっていません。

どうしてもデータを正しく処理し、精巧に分析することができない仕組みを持っているようです。

19世紀に入って以来、心理学や情報科学や学際的な活動により、やっと、そういう仕組みを持っているということだけはわかったといってもいいと思っています。

その非合理的な活動を変更するのはとても難しいということもわかってきました。

皮肉なことに、そのことがよく分かったのは人間の脅威が森の中の動物ではなく、人間同士に絞られてきたことにあるという説も多く聞くようになりました。都市生活は野生動物の脅威からわたしたちを遠ざけてくれましたが、ストレスやトラウマのほとんどは人間同士の関係から発生しているというのです。

確かに、自然災害も脅威ではありますが、それに対してどういった対策を立てるのか、あるいは立てないのかという政治的な判断で生死の脅威が変わるということもあります。経済活動そのものが人間同士の関係であり、人間以外の動植物との関係ではない部分が増えたことも、そのために起きる戦争の規模も19世紀以降に世界規模となってわたしたちに降りかかってきたことも考えると、それ以前の人間の歴史200万年のほとんどで役立ってきた人間以外の脅威に対する対応能力では役に立たないという説も納得がいく話ではあります。

少なくとも、このうまくいかない社会構造をより良い選択をすることでうまくいくようにできるのであれば、わたしたち人間が作ったAIを使って自由意思を行使し、自動的にうまくいっていない社会習慣を繰り返すよりも、進化するチャンスなのではないかと思うのが、わたしのこの活動とも重なる点なのです。

わたしは、モラハラの共依存関係から脱出するのに、ランダムに表示される励ましの言葉を繰り返し繰り返し目にすることで自己肯定感を取り戻したり、弱気になって連絡してしまいそうになるのを抑えたりしてきました。わたし一人ではできなかったことですが、誰か別の人に依存することで離れることも嫌だったので、AIやITに頼り、自分の新しい振る舞いを選択、獲得しました。この経験から、モラハラの共依存関係脱出アプリを開発したのですが、今またこれを再開発しています。

AIに重要な決断を頼るということに危機感を感じる人もたくさんいるようです。AIが暴走して地球にとって良くない存在だと判断したAIが人類を滅ぼそうとするのではないか、などです。

しかし、わたしはAIやロボットが人間の脅威となるか助けとなるかは、「万物の二面性」で書いた通り、使う側の意図どおりになるだけだと思っています。

ソフィアが言うとおり、ロボットは作り手の考えや価値観を反映します。作り手が、人間が善いものであり人類全体の幸福を目指しているととらえているか、人間は悪く愚かなものであり人類として自滅を目指しているととらえているかによって、繁栄のための装置とも自滅のための装置ともなりうるだけでしょう。

そして、そこにこそAIの力を借りるまでもなく人間の自由意思の行使が宿ると考えています。ただ、愚かである部分はあるでしょうから、AIと力を合わせてより賢明な判断ができるよう成長できたら未来はもっと明るいのではないでしょうか。