甘えと自立

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親密な関係でありながら、自立した対等な関係を保つということは可能なのか、ということを、この1週間ほど考えてきました。

父のいち大事!

きっかけはアルツハイマー型認知症で一人暮らしをしている父の体調不良でした。心臓が痛いのでデイサービスを休みたいと言っていました。コロナもあって去年8月にペーパードライバー講習を受けて以来、初めて一人で2時間運転して父のもとへ行きました。その間に兄が病院に連れて行ってくれ、着くころには家に戻っていました。行ってみると顔色もよくなく、小さくなった父がおりましたが、兄曰く「悪いところはないようだけれど念のため検査したほうがよいということになった」そうでした。60代から発作性上室性頻拍症があり、先月デイサービス中に頻脈が起きたこともあって、ちょうど念のため3日後に専門医に診てもらう予定でした。一人暮らしと聞いたお医者さんが「一人にしておくのはちょっと心配だと言っていた」というので、万が一を考えて泊まれるように準備してきたわたしが3日後に兄が病院に連れていくまで滞在することになりました。

兄が去るとしぼんだビニールのようだった父は、空気が入ったように膨らんで元気そうになりました。元気になったのは喜ばしいことなので、仕事道具を持ってきたわたしは、気にせず山積みの仕事をすることにしました。

「仕事するので、お腹がすいたら自分のタイミングでいつものように好きに食べてね」と言って、春の嵐が荒れ狂い始める中わたしは仕事に取り掛かりました。なんでも自分のこうしたいがあってうるさい父のことを考えれば、元気そうだし好き勝手にやってもらうのがいいと思っていました。

13時過ぎにひと区切りついて自分のお昼ご飯を買いに出ようとすると、父はまだお昼を食べていませんでした。メインで父の世話をしてくれている兄からは、朝に「今日行くからお昼を一緒に食べよう」と言ってあっても認知症のせいもあって12時に着いた頃にはすでに食べ終わっていたと聞いたこともあり、元気そうに見えるけどやっぱり食欲がないのかな?と思いました。

「あれ?まだ食べていなかったの?食欲ないの?」と聞くと、父は「うんー」とはっきりしませんでした。

「わたし、自分のお昼がないから買いに行くね。何かついでに買うものある?」と聞くといくつかメモに書いた買い物リストを渡されました。

何かが変だぞ?

そもそも、わたしは介護のために父のもとにいるつもりがなく、何かあったら心配だからそばにいるだけのつもりでした。2時間の道のり、一度自宅に戻れば、何かあってもすぐに駆け付けることはできませんから。

そもそも、父はそういうつもりがなかったのです。父はハッキリ自分の本音を言わないので、想像でしかなくわかりませんが、わかっているのは態度がおかしいこと。黙っていてもおひるごはんを用意してもらえ、お茶を入れてもらえ、お風呂を用意してもらえると思っていたようです。

そのずれは、時間が経てばたつほど顕著になっていきました。言わなくても先々気がついて、かいがいしく世話して欲しい父と、お互いに快適に生活したいのでなんでも報連相するわたし。

どう見ても元気そうで、もりもりいつもよりもたくさん食べ、わたしの分も欲しがる父。夜ごはん用に買ったものも出して夜買い出しに行くことを決めるわたし(父は宅配の夜ご飯がある)。

食後にお茶を飲まないのかと聞いてくる父と、緑茶が小さいころから好きじゃないし水をのんでいるよと答えるわたし。

入れてほしいのかと聞くわたしと、ついでがないのに悪いよねと言いながらも動かない父。

食べ終わってしばらくして食べたものを片づけようと立つと、もう罪悪感が発動しており、自分が飲まない緑茶を入れる。

嬉しそうにお茶を飲む父をしり目に「仕事に戻るね」と仕事をしていた母の書斎だった部屋へ。

断る権利がない

もしも父がはっきり頼んでくれれば、断る権利もわたしにはあり、むしろ喜んで入れてあげる気分にもなったかもしれません。

でも、滞在中、この目に見えない押し問答が続きました。女だから、娘だから、親子だから、年寄りだから、認知症だから、心臓が痛かったから、可哀想だから、役割だから、女は気が利く方がいいから、言われてやるのはバカだから、育ててもらった恩があるから、親孝行じゃなければいけないから、後で自分が後悔するかもしれないから、を基準に、言われていないのにいたたまれなくなってわたしが判断してわたしがやる。わたしのアイデンティティの基準となる価値観を壊さないために、自分の価値が落ちてしまわないために。やらないと罪悪感を感じる。それから逃れたいためにその選択をする。したことを後悔して自分が嫌いになる。父を少しずつ恨む。恨む自分を嫌いになる。

父のことは大好きなのです。心配もするし、できることは無理な自己犠牲のない範囲でできる限り楽しんでやっているつもりです。それをしたことで父を恨まない選択を極力したい。

せめて、断る権利があれば、断らなかったとしても、こんなに楽な関係はないのに。無言のプレッシャーがあって、わたしには選ぶ権利がなかった。

父が無言で態度で示すだけだから、自分の中で勝手な会話が始まる。「プレッシャーを感じる」といったら、「別に頼んでないのに勝手にプレッシャーを感じたのは自分でしょ」といわれる。「そのプレッシャーは自分が悪いと思っているから起きるんだよ。実際具合が悪くて病院に言ったのは本当だし、まだ詳細な検査ができていないんだから、いつも通りは無理なんじゃない?」「冷たいってよく言われてたよね」などなど意地悪なわたしがわたしを突き動かすのを押しのけて押しのけて。「でも」しかいえないわたし。

自立したのではなく逃げたのか

わたしは父が今住んでいる家に住んだことがありません。わたしは両親と暮らすことを限界に感じて就職して1年目に家を出ています。その後両親が移り住んだのが今のマンションでした。そこへ行って手伝ったり何かやったとしても、「勝手知ったる他人の家」くらいの感覚であって、よその人気分で滞在していました。わたしにとってはずっと「実家」ではなく、「両親の家」でした。わたしには「実家には二度と戻らない、なぜならあそこはわたしの帰る場所であったことが一度もないから」という象徴的な意味を持っていました。

中学生になるより前から、経済的に自立することがレズビアンであるわたしにとってのテーマでした。母はわたしが小学生のころからわたしに「離婚したいけど、経済的に自立できないからできない」「お父さんはいい人だから、離婚したらわたしが悪者になる」「お父さんの嫌さはあなただけにはわかるでしょ」と話していました。自信のなさと罪悪感が母を蝕んでいました。わたしは両親のような異性愛の経済的に自立できないから嫌でも我慢して一緒にいるという関係を嫌悪していました。

一方で、そういう関係性をデフォルトの人間関係の在り方として持っているわたしは、親密さと自立が同時に成立するということがどういうことなのか想像することができませんでした。誰かと親密さを感じたければ、相手の「甘えたい」という気持ちにこたえることが親密さであると勘違いしていたところがあったと思います。異性愛か同性愛かなど関係はなく、対等な関係を築けない、周りの人をダメ人間にする過保護さや、自分が気疲れするほどの気遣いや、そもそも社会生活がダメなタイプを好きになることは、そういう具体的な理想を持っていなかったことが原因だったのだ思います。

わたしは自立したのではなく両親のような人間関係が嫌で逃げただけでした。一人なら自立しているように思えました。でも、愛する人とどういう関係にしたいのか、はっきりと思い描くこともなくいたので、ずっと恋愛関係で共依存的な関係を自ら求め作ってしまっていたようです。

自立して継続する親密な関係とは

わたしの友人の中にはありがたいことに、何年会わなくても昨日会ったように感じる、自立した関係を築いてくれる人もおり、彼女たちとは適度な距離を保って何十年も続く友情を育んでいます。その関係ではお互いの領分に過剰に踏み入ることもないし、自分がどうしたいかをハッキリと第一希望から第三希望くらいまでの幅を持って表明し合うので健康的な関係が続いています。お互いに「断る権利がある」関係なのです。

嫌われることをおそれていたらいえないようなことをいえる、ということがポイントなんだと思うのです。

この稀有な友人との関係では、嫌われる心配がありません。むしろ、お互いの本心がわからないことを悲しいと思うからです。

相手の本音がどこにあるのか、態度や言動の不一致から想像するという余計なエネルギーを使わないので、一緒にいて楽しく、楽です。

相手の言動の裏を読む必要がなく、自分も読まれる不安を持たずにいられ、何重にも先々を計算して自分の言動を検証する必要がありません。相手が傷つくことをおそれることもなく、傷ついたら傷ついたとその場でいってもらえ、その場で謝ることができます。自分ですら気がつかない深層心理の責任をとる強迫観念もなく、物事は見えた通りと安心していられるのです。

この率直さが、親密さなのだと、思ったのです。

自立しても甘えることは可能だと思うのです。相手が断る権利を持っていて、それをちゃんと行使してくれている限り。

自立とは孤立ではありませんでした。

自分の意志を安心して素直に出せること。

断られることを認めること。

断ることを認めてもらえること。

断られることをおそれたり、断ることで嫌われることをおそれたりして、何もかも思い通りにしようとするのをやめること。

断られてもわたしの価値は変わらないし、断ってもわたしの価値は変わらない。

お互いの希望を出し合って、最善の解決を一緒に導き合える関係がいい!そういう人間関係を築いていきたい!と心から思いました。

これは、わたしには夫婦間でも夫夫間でも婦婦間でも親子間でも兄弟姉妹間でも親戚間でも友人間でも仕事の関係でも街のお店でのやり取りでも、人間が関わる全ての関係においてそうありたい理想の関係です。

まずはわたしから、それを始めます。

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