記憶と「私」

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去年の10月、ちょうど約1年前にわたしの母が他界しました。それから認知症の父が一人実家に残され、実家により近い場所に住んでいる兄が、仕事の合間に父の面倒をみてくれています。自分の家庭や自営業の傍ら、頑固な認知症の父を世話するのはいろいろ大変だろうとおもいます。兄はめったに愚痴など言いませんが、父の言動で目立って困ったことなどがあると報告してくれています。母のこともあった時期は病院へも通い母を看取ってくれたので、本当に兄には感謝しています。
父はアルツハイマー型認知症で、2005年くらいから同じ内容の会話を数分の間に繰り返したり同じ質問を何度もしたりなど、「あれ?」と思うことがあり、2012年ごろには知らない場所だと道に迷って3時間もさまようということが起き始めていました。若いころは山が好きでピッケルとザイルで沢登りするほどの人で、方向感覚もあり用意周到で道に迷うということはない人だったため、「ああ、とうとうきているな」と思いました。

記憶の共有者

2009年には母がSLE(全身性エリテマトーデス)という病気のために、中枢神経に障害が出て、いろいろなことを混同したり忘れてしまうなどの見当識障害や幻聴幻覚症状が出ました。わたしは母のこの症状に、強い寂しさと焦りを覚えました。たくさんの母が持っている、わたしがわたしであるという過去の記憶、共有している過去の、本当に起きたかどうかすらあいまいな記憶の保持者が一人減るということに、ほぼ恐れといっていい感情を抱いたのを覚えています。幸い、この障害の予後はよく、免疫が自分の中枢神経を攻撃するのをやめさせることができれば、記憶は復活します。母は懸命なお医者さんの治療や病院スタッフのお世話のおかげでその時は症状を軽減することができ、3カ月という長い入院生活を終えて退院することができました。去年の入院では79歳という高齢に加えて肺と心臓の障害に持ちこたえることができず、80歳の誕生日の数日前に父を残してあの世へと旅立っていきました。

わたしがあの時、記憶を共有している母がその記憶をなくすということに、あれほどまでに危機感を感じたのは、記憶が重要だと心のどこかでわかっていたからでしょう。それはわたしがわたしであるということに一貫性を持たせる何かなのだと思います。

記憶と忘却

独り暮らしというスパルタのおかげか、デイサービスでの週1回の囲碁や習字や音楽会が効いているのか、薬が効いているのか、父も今は何とか自立した暮らしを続けることができています。コロナのおかげでなかなか会いに行けなくなってしまったわたしも、先日ペーパードライバー講習を受けて何とか車を運転して片道2時間かけて父に会いに行くことができるようになりました。

3カ月ぶりで会ってみると、父はそれまで一度も自分から母の話をしなかったのに、母が旅行に行っているだけだと思って暮らせば寂しくないのだ、と話しました。裏を返せば母が亡くなったということを悲しんでいたし、日々寂しさを抱えて暮らしている、ということなのだと思います。昭和一桁の男ですから、感情を表現することを「男らしくない」と育てられていることでしょうし、比較的正直な性格の人ではあるものの、弱さは見せずにいるのだと思います。だから、父もやっと、こういう形で話ができるようになったのだと思いました。

アドラーが好きなわたしは、『嫌われる勇気』の著者である岸見一郎氏の『老いた親を愛せますか?』(幻冬舎)という本を少し前から読み始めていました。岸見氏もお母さまが先に他界され、残されたお父さまが認知症になって介護することになったということでした。その中で、お父さまがお母さまと言う存在をざっくりと忘れてしまったという記述に触れ、びっくりしました。

辛いことがあって、それを処理しきれないときに、人は記憶を失うことがあるといいます。PTSDの症状のひとつでもあります。最初は二人の間によっぽどの嫌なことがあったのかと悪く考えてしまいましたが、うちの父がそのうち「もうすぐお母さんが三浦半島から帰ってくるから駅まで迎えに行く」と言い出すのかもしれないと思ったとき、おそらく岸見氏のお父さまも、奥さま喪失の辛さから、奥さまの存在だけを消し去ってしまわれたのかもしれないと思いました。

記憶の仕組み

調べてみると、記憶というのは本当に複雑で面白いものです。

出来事があり、認識し、それを符号化し、インプットし、分類してしまい、保持しておき、再び何か出来事があり、その刺激によって何かが想起され、その関連事項を検索して、何らかの形にして、それをアウトプットする、という流れが記憶というものだと理解しました。アウトプットされない場合はその記憶があることすら認識されないので、思い出すことで記憶が成り立つのですね。

その際、非常に面白いなと思ったのは、スキーマとスクリプトというものでした。

スキーマは出来事に決まった符号を与えて分類して体系化する際に役に立つツールと考えられています。これがあると効率化がはかれますが、同時に認知のゆがみつまりバイアスを引き起こすものとなりうるということでした。これは文化や習慣で構築されていて、まさにわたしがこのブログ上で繰り返し書いている「価値観」や「アイデンティティ」というものだと思います。

スキーマそのものはどのように獲得されるかといえば、おそらく繰り返しによって記憶されていくのだと思います。これは認知心理学の分野でいう「リハーサル」といわれるものであろうかと思います。

さて、インプット時にも格納時にもスキーマが必要ですが、アウトプット時の「思い出す」という場面でも関連する情報を検索するための手がかりとしてのスキーマが必要です。例えば符号化した記憶にタグをつけておき、脳の中の棚についている案内板(スキーマ)に従ってしまったものを探す感じでしょうか。

もうひとつ、スクリプトというものがあります。これは朝起きて歯を磨いて顔を洗って…のように、一連の時間的な動作の流れや習慣といったまとまりのことを指します。スクリプトに従って考えることをほとんどしないで流れに乗って行動すると問題なく日常生活が送れるといったものです。出かけるまでの習慣に、最近ではマスクをするという習慣が加わりました。最初は忘れがちでしたが、3月ごろから半年ほどで定着しました。

心理学では、人は自分の信念や言動に一貫性を保とうとするという性質があるといいます。これを「一貫性の原理」といいます。この一貫性をスキーマに従って保つだけでは非常に難しいので、一連の動作やストーリーが決まったものはスクリプトというまとまりで体や感覚的な部分が覚えているというものなのだと理解しています。

「私」とは

こう考えてくると、「私」とは「記憶」なのか?と思いたくなります。

しかし、共有している記憶を失ったメンバーが家族にいても、わたしがわたしでなくなることはありません。「忘れている」という事実がある、ということは、忘れる対象が存在したことを意味するからです。

では、忘れた本人はどうでしょうか。父はそのうち母が帰ってくると信じて迎えに行こうとしたりするかもしれません。でも、父は父のままです。認知症がさらに進んでいろいろなことを忘れたとき、父は父のままでしょうか。この辺のことを立ち読みした『脳科学者の母が、認知症になる』では「感情がその人らしさである」と結論していたのを思い出します(読書リストに加えました)。確かに、先日の久々の訪問中に、好きなものを食べたときの表情や、おもしろいジョークが言えたときの嬉しそうな顔や、何かこちらが感心するようなことをやった時の得意げな笑顔に、「ああ、お父さんらしいなぁ」と感じたことを思い出します。

物事を決断するのにも「感情」が必要であるということを「自由意思は存在するか~人間とAI」で以前に書きましたが、感情の大切さを実感しました。そこから、アイデンティティ以前の存在として「意識体」が「自己を認識する」というのは「感情を通して」なのではないかと思いました。

記憶

このように考えてくると、わたしたちがスキーマに合わせて「何者かになろう」と努力しているとき、わたしたちは本来の自分を否定していることがあるのではないかと感じます。むしろ、スキーマはすでに起きた出来事を記憶装置に効率よく格納して後で取り出しやすく分類するためのツールでしかないようだと思いました。

そうだとするならば、男らしさや女らしさといったジェンダーの役割も、記憶して覚えているための分類法のひとつでしかありません。ステレオタイプと言おうが、価値観と呼ぼうが、スキーマと定義しようが、カテゴリーと名付けようが、それそのものが「私」であるわけではなく、存在する「私」とは何かを感じるための手がかりなのでしょう。

記憶についてはさらに面白い考えを学んだので、そのうちまとまったら書いてみたいと思います。




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