罪悪感の用法

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今回は、「罪悪感」を紐解いてみたいと思います。大作です(笑)

わたしは、罪悪感を薬のようなものだと思っています。用法を守って正しく使えば人生を豊かにできるものですが、使用方法を誤ると効かないどころか危険なものにもなと感じるからです。そしてよく効く分、副作用が非常に深刻なのが罪悪感という薬の特徴だと思います。副作用についてはあまり触れる予定はありませんが、誤用については人間関係を通して自身に深刻なダメージを与えると実感してきたことがあるので、長年の考察を書いてみたいと思います。

これらは、わたし自身が用法を誤って、罪悪感によって壊れてしまった関係を続けた結果から学んだことでもあります。

罪悪とは何か

罪悪感と聞いて浮かぶイメージはとても重くて暗いものです。罪悪を感じることを罪悪感と呼びます。

罪悪とは何でしょうか? 罪悪という言葉の意味を紐解くと、

道徳や宗教の教えに背くこと。つみ。とが。

デジタル大辞泉(小学館)

とあります。道徳=モラルですね。道徳・モラルと聞いただけでもうすでにとても定義が難しく、何千年もはっきりした答えの出ない観念的なものを取り扱っているということがわかります。

ウィキペディアによると、道徳とは、

人間が無意識の内に世の中に存在するものと認識している正邪・善悪の規範。個人の価値観に依存するが、多くの場合は個々人の道徳観に共通性や一致が見られる。社会性とも関わる。

Wikipedia

というものです。つまり、個人の価値観によって決められるのです。

アイデンティティに価値観が大きくかかわっているということを繰り返しブログの中で話してきました。

罪悪は、自分自身が決めた価値観と現実がずれていること、ほかの人と同じ価値観を共有できないこと、転じて、アイデンティティと一致しないことを指す、あるいは、ほかの人と価値観を共有できない自分というアイデンティティを持つ、という状態を表していると定義したらいきすぎでしょうか。

わかりやすく書き直します。

  • 「こうありたい自分」ではなくなってしまう行為・感情
  • そのために「こうありたい自分」ではなくなったと気がついた過去の行為・感情
  • 「こうありたい社会」ではなくなる行為・言説・思想
  • 「こうありたい社会」を否定する行為・言説・思想
  • 「こうありたい家族・夫婦・親子」ではなくなる行為・言説・思想・感情

上記を罪悪と呼んでいるのだとしておきましょう。

「こうありたい」は理想です。「こうしてしまった」「こう感じてしまった」「こう思っている」は現実です。理想と現実に差異がないと人間は安定することがわかっており、心理学の療法はこの理想と現実の一致もしくは差の低減を目指します。理想と現実のはざまにいるのが「私」(アイデンティティ)だからでしょうか。

以上のことから、「罪悪を感じる」つまり「罪悪感」とは「こうあるべき自分」と「こうである自分」との乖離を感じるということとほぼイコールと考えられるかと思います。

罪悪感

罪悪感がアイデンティティにかかわる価値の問題であると考えれば、自分が属していると思っているグループの人々と価値観が合わないという事実、そのグループが共有する価値観を共有できないという事実は、居場所を自ら失うということを意味するでしょう。

この孤独感は何かの罰のように感じられるのではないでしょうか。

親が求めるようないい子でいたいと思っているのに、突きつけられる事実はいい子ではない。はしゃいだらいけないと言われているのに、ついうれしいことや楽しいことがあるとはしゃいで騒いでしまう。叱られてばかりで求められている自分にはなれない。

親はうれしくても楽しくても静かにしなければいけないと言うけれど、自分はうれしかったり楽しかったらそれを体中で表現したいと感じてしまう。

自分がいい子ではなく悪い子だから、親と同じ価値観を持つことができないのだ。

自分の感じていることは罪なのだ。

自分は道徳に反してしまった。

寂しくて悲しい。

罪悪感のメリット

存在するものは必要だから存在している。というのがわたしの基本的な考え方です。わたしの限界として、その存在の必然が不当に思えたりネガティブに感じたりすることはあります。

人間万事塞翁が馬というような、一見悪く見えたものが時間が経っていいものにつながるということは、どんな人も多少なりと経験したことがあると思います。

その渦中にあるときは、苦しかったり辛かったり哀しかったり悔しかったり恨めしかったりします。当然のことです。知ったようなことを言いやがってと思う方もいらっしゃることでしょう。当然です。わたしも不幸のど真ん中にいるときは何もかもが恨めしいです。そういう方はここで読むのをやめても大丈夫です。

話をもとに戻しましょう。

わたしは罪悪感も人間万事塞翁が馬的に存在しているのだと思うようになりました。罪悪感はよくないと思い、感じないように努力したこともありますが、それでは事実とずれてしまうので、ずれた自分を責めるという、無限罪悪感ループに陥ってしまいました。

罪悪感を感じないことはできないとし、そこから何を感じ何を学び何に転化するのかということにつなげないと、この無限罪悪感ループから出ることは不可能でした。学びとしての罪悪感です。

具体的に、罪悪感にメリットはあるのでしょうか。罪悪感に詳しいカウンセラーの根本祐幸氏の著書『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』を読んで確かにそうだと思ったことは、「愛が強いからこそ、罪悪感もまた強くなる」ということでした。

例えば、大好きで、所属していると感じ、親しみ、安心できる居場所として感じていた、そのグループやその相手の価値観に背く自分に気づいてしまったとしましょう。

自分が愛する人たちの幸せを願わない人はいないでしょう。なのに、自分が相手の不幸のもとだと知ることの、なんと残酷なことでしょう。

ひっくり返すと、根本氏が言うとおり、罪悪感は、どれほど相手やグループに対する自分の愛が強いかを表しているといっていいでしょう。

自分が相手をどれほど大切に思っているかを教えてくれるのが、罪悪感なのかもしれません。

罪悪感の誤用

さて、罪悪感の副作用については根本氏の本などを読んでいただくとして、誤用について書きたいと思います。これが本題です。

わたしは、わたしたちが言葉のレベルではなく、「罪悪感は愛の存在を示唆している」ということを理解していると考えています。その理由は、人が罪悪感を感じる当人ではなく、相手が自分に対して罪悪感を感じるかどうかで、相手の愛情の度合いを察知するからです。

例えば、わたしが大切にしているとわかっているマグカップを、誰かが落として壊してしまったとしましょう。相手に「大切にしてたマグカップなのに、割っちゃってごめんね」と言ってもらえれば、それで相手がわたしの気持ちをわかってくれていたのだとわかります。許す気持ちになります。もし、悪びれもせず「新しいの買えばいいじゃん」と言われたら、相手のわたしに対する愛情を疑いたくなります。「わたしのことなんてどうでもいいんでしょう?」と詰め寄りたくなります。

「わたしが大切にしているものは自分にも大切だ」と相手が思っているという価値観の共有がカギとなります。

マグカップのこと以上に、相手のわたしに対する愛情に関心が移ります。

これを相手の愛情を確かめるために、わざと引き起こすという誤った罪悪感の用法が「試す」です。逆に使うのはダメなのです。

「最近放置されてる感じがする」と言って相手の非を責めて罪悪感を感じさせるというより、実際に放置されていたとしても、拒絶されるのが怖くても「もっと構って」というほうがいいですよね。

なぜダメなんでしょう? 相手を悪者にして構ってほしいという欲を満たそうとしているからです。相手に断るともっと悪者になるという状況を見せつけて、選択肢を狭めているのが判りますか?

裏のメッセージは、「放置したあなたは悪い人です、あなたが放置したから、わたしは寂しくなってしまいました。さぁ、もっと放置したらあなたはもっと悪い人になりますよ。それでも断りますか?」という強迫に近い要求の仕方なのです。これは相手を追い詰めます。

一方、「もっと構って」というメッセージには裏がありません。相手が勝手に罪悪感を感じることもあるかもしれませんが、基本的にはその時余裕があれば「いいよ」と構ってくれるだろうし、なければ「あとでね」となるでしょう。あとでと言われて納得できなければ「あとでっていつ?」と聞いてきちんと納得いく理由と時間を確約しましょう。

そもそも、最近放置されてる感じがしたのは今の自分で、構ってほしいなと感じた瞬間に過去をさかのぼって最近放置されていると思っただけかもしれません。いつと比べて何と比べてどのくらいの頻度で放置されているのかわからなければ、唯一その瞬間に確かなのは、今ここであなたが感じた寂しさだけではないでしょうか?

まぁ、ここで書いたことはわたし自身の経験ですし、わたし自身へのアドバイスですから、誰かに分かりやすく書くことで、結局はわたしがこの罪悪感地縛霊から解放されるのかもしれません。どなたかの役にも立ちますように。

根本祐幸氏の本はこちらです。わたしは去年亡くなった母との間での罪悪感に悩んでこの本を読みました。


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