シナプスと気分

自分の心身を観察したり実験していて感じていたことがあります。
気分というのがとても大きく体に影響を及ぼすということです。
これはわたしが言い出すよりも前にたくさんの方々が言及しており、研究もなされてきて、心因性の器質的な病気を心身症と呼んで薬物とカウンセリングによって症状を軽減するようになっていますから、何を今更と思われるかもしれません。

わたしは子どもの頃にはほとんどなかったアレルギーが増え、心身症の一つである過敏性腸症候群や偏頭痛に悩まされたことがあります。

子どもの頃と今を比較して何が違うかというと、かつてのわたしはボーッとしていることが多く、自分を定義することができない子どもでした。つまり、ひとり自分の世界に住んでいて、常に満ち足りて幸せだったからかもしれません。協調性はなく周りの大人が苦労したようですが、本人は幸せな幼少期を送っていました。

今は人と比較するようになったからアレルギーが増えたり心身症になったわけではなく、部下や家族や恋人といった自分以外の大切な人たちを大切にしようとすると起きる矛盾に悩むようになったからだと思います。
わたし自身は馬鹿げていると思っているような、誰のことも幸せにしない価値観を、大切な人が盲目的にそうと気づかずに信奉しているのを、頭ごなしに否定することなく、かといって一緒になってそれを支持することもなくいるのはとても難しいことです。一緒にいる人が不幸なのも苦悩の中にいるのも辛いからです。何かできることがあればしたいと思ってしまいますから。

モラハラにあってわたしが怪我の功名として得た教訓のひとつは、価値観が一致していない人と一緒にいてはいけないということでした。そこから自分の人間関係の構築の仕方に考えを拡大し、例え大切な人であってもある程度の距離を置くことでホッとできるならその方がいいと思うようになりました。
わたし自身が馬鹿げていると思っているような価値観に自分を合わせることができないように、相手もわたしの価値観を受け入れることはできません。一緒にいるためにお互いを変えようとしてしまいます。心理学を学んでみると、説得がいかに論理的であろうと逆効果(ブーメラン効果という)であるのは実験や研究が実証しています。
人生で一番大事なものが違っていたら、それはもう致命的です。大切な局面での選択肢にお互いが納得いかないことが多くなります。お互いの影響が少ない距離に離れれば、相手の選択を認める余裕ができます。
逆に、人生で一番大事なものが合っていれば多少の意見の相違があっても何も心配いりません。目指しているところは同じなので、意見の相違は車で向かうか電車で向かうかの違いくらいのものです。目指すところに到達できるなら、お互いに自説にこだわらずに、より効率的で確実な手段を選ぶことができるからです。

わたしは「自分幸せに責任を持つ」ということに価値を見出しています。人のせいにしたり何かのせいにするのではなく、自分で自分を幸せにするということです。
それには自分にとって何が幸せなのかを知る必要があります。そして、幸せでいるために何をするのかということは手段であって、目的ではないのでこだわりません。手段はお金であることもありますし、健康であることもあります。でも、それが全てではありませんから、それに価値を見出したら不幸になると考えています。

例えば、自分が幸せになるには「〜が必要だ」という信念があります。「〜」には「お金」でも「健康」でも「恋人」でも「結婚」でも「地位」でも「実績」でもいいわけですが、それが無いとか理想のレベルではないとか他の誰かと比べてどうかなどである場合は不幸を作り出す装置となります。
一番顕著なものは「お金」です。幸せな人はお金があるから幸せなのだと思っている人が実に多くいます。不幸な金持ちの存在を知っていてもです。
「幾らお金を持っているか」で自分や他人の価値が変わる、という価値観があります。わたしもかつてそう考えていました。なぜなら、この世のシステムがそうだからです。
でも、お金もこの世のシステムの全てもわたしたち人間が作り出したもので、信じて支えて運営する人がいなければこのシステムは崩壊します。
野球だってサッカーだって必要なメンバーが揃わなければチームを組むことはできませんし、相手チームがなければ試合はできません。

さて、では幸せな気分になり、それに浸るにはどうすればいいでしょうか?
価値観を変えるのは至難の技です。
それが自分が外の社会に表わす価値でもあるわけですから。
「私とは〇〇である」でいったようなことです。

わたしは、現時点ではその答えを「その価値観で暴走しないようにすること」だと思っています。
論理療法の本には「そうであるのが理想だが、そうでなくてもいい」というくらいになれるとだいぶ変わるとありました。言い得て妙!です。
例えば、人種を変えるのは無理ですが「アングロサクソンだったら幸せなのに」というのは「アングロサクソンだったら幸せだったかもしれないけれど、そうでなくても幸せになれるものかもしれない」と考えられたらしめたものです。これなら価値観を大きく変えずに楽に考えることができます。

楽に考えられたら、気分は大きく変わりますよね。
不思議なことに、わたしたちの脳味噌の中ではそういった気分によって放出される脳内物質が変わるのだそうです。セロトニンとかドーパミンとかアドレナリンとかエンドルフィンといったものです。

アレルギーの仕組みも同じく脳内のヒスタミンやサイトカインという物質が関わっているのだそうです。体外から入ってきたタンパク質のマークに異常や危険を感じると攻撃を開始したりするアレです。
確かにアレルギー物質が入ってアレルギー反応が起きてくしゃみや鼻詰まりが起きると不快ですが、それにとらわれて何時間も過ごすよりも、気分の良くなる何かを始める方がきっと脳内物質のパニックを治めるには効果が多少はあるかもしれません。
もちろん、抗ヒスタミン薬を飲むのもひとつの手ですよね。
ヒスタミンのやりとりで忙しいシナプスに、別の仕事をさせて少し落ち着いてもらうのもいいのかもしれません。

わたしがよくやることのひとつに「木漏れ日」の中に身を置く想像、「川面や水面が作る光の模様」をぼんやり見つめる想像などがあります。何かの香りを思い出すこともします。

そして、今日はヒノキアレルギーなので、ヒノキの林で「森林浴をしながらフィトンチッドを嗅ぐ」想像をしてみたところ、多少軽減した気がします。
ひのきを嫌がると余計にひどくなる気がしたので、アレルギーは仕方ないとしても過剰反応の部分は抑えられたらとやってみました。アレルギーの事実は変わりませんが。

次回は「思うツボ」を考察してみたいと思います。