信念を持つのが怖い

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こんな時代に信念を持って生きるのは自分から進んで困難に向かっていくようなものですね。

お笑いの世界に浸って面白おかしく笑って生きていれば、偉い人たちがいいように導いてくれて、真面目にコツコツやっていれば特に大きな問題もなく無事に一生を終えられるはず。

自己主張すれば反対意見にボコボコにされるだろうし、バカにされて仲間外れにされるかもしれないし、誰とも話が合わなくなってしまうかもしれない。

でも、本当にそれで楽ですか?

それで楽しく生き生きと、伸び伸びと生きていますか?

それであと何十年もやっていけそうですか?

変なこと言ってバカにされたり、勉強不足や能力不足を笑われたり、無知を悟られて見下げられたり、地位を失ったりしたくない。

王様が裸に見えてもみんなが「あの衣が見えないのはバカ」と言っているから、見えているフリをして不安になりませんか?だって、見えていないですよね?見えているフリがバレたらどうしようと不安を抱えながら生きていませんか?

私たちを自分の信念や感覚や感情や気持ちから遠ざけているのは、一体なんでしょう?

私たちを自分の体や脳みそから感じる生のリアルから遠ざけているのは、一体なんでしょう?

安心したいと毎日頑張っている私たちをむしろ頑張れば頑張るほど安心からどんどん遠ざけているのは、一体なんでしょうか?

勘違い

例えば、今、あなたは何か自分の思うことを一生懸命説明したところで、それを聞いていた相手にちょっとバカにされたと感じたとしましょう。

でも、相手は涼しい顔で笑っているだけで、ここで「今あなた、私をバカにしましたね?」と聞いても「何を言っているんですか?言いがかりですよ」とか「被害妄想が激しいですね」とか「そんなわけないじゃないですか」と言われるかもしれない可能性が90%ありそうな雰囲気です。

そいうことを言い出したあなたの方が頭がおかしいと思われかねない中、それでも自分の自尊心が「チクっ」としたのを確かにあなたは感じました。感じたけれど「勘違いかもしれない」と忘れることにしました。

思い込み

あなたは親が自分を「こういうところがある」と思い込んでいて、そう扱ってくるのを嫌だなと感じています。でも、そういうところもあるけれどそれがすべてではないし、別の一面があるのになぁと寂しく感じています。

現実は相手が思い込んでいるほど深刻ではないし、事実は相手が決めつけている結果とは違うものであることもある。だから、あんまり「こういうものはこうである」と思い込みたくないし、公平で公正でいたいとあなたは考えています。

独りよがり

あなたの知り合いのAさんはちょっと独特なファッションセンスをしています。他のことは人並みなのに、ここはちょっと奇抜で、一緒に歩くのをためらうことすらあります。

でも、Aさんはとても自分のスタイルが気に入っていて、とても自慢なので人がジロジロ見るのをかっこいいからだと思っていて、オリジナルファッションにどんどん拍車がかかります。

あなたは自分にAさんのように独りよがりで誰にも本当はいいと思ってもらえていないような部分がないか心配しています。バカにされてAさんのように笑われたりジロジロ見られたりするくらいなら、周りを見て合わせていた方が安心だと考えています。

孤立

あなたの知っている人で、めんどくさいと言われて周囲に煙たがられている人がいるとしましょう。何か一つ必ずこだわりポイントがあって、そこを譲ったところで特に失うものもないのにと思うのですが、そのポイントはいつもその人を頑なにします。

それで、その人は孤立しがちです。

あなたはあの人みたいになりたくないなと思っています。孤立してしまったら寂しいし、自分を持て余してしまうのがわかっているからです。

盲信

あなたは宗教の勧誘にあいました。以前同じ職場でちょっと働いただけの相手に、久しぶりに会いたいと言われて出かけたところ、宗教の勧誘でした。

あなたは、目に見えないものなんか信じるのは盲信だと思っています。あなたは神様なんているのか、宗教やスピリチャルなんて怪しいだけで、気持ちが悪いと思っています。

でも、本当にどうしようもなく不安だったり悲しかったり悔しかったり辛かったりした時に、何を信じて何を頼ればいいんだろうと漠然とした不安を抱えていますが、なるべく見ないようにしながら面白おかしくやり過ごして暮らしています。

信念とは何でしょうか?

目に見えないものを信じるのは、お金や洋服や目の前にいる人たちの反応を信じるより難しいですね。

目に見えないものは「自分の中に起きる何か」で「自分しか感じられない何か」だからではないでしょうか?

信念が勘違いや思い込みや独りよがりや盲信になって、孤立してしまうのは、人と共有できないからでしょうね。

実は、信念を持たない人はいないのです。

思い込みしたくないという思い込み、勘違いしていないという勘違い、独りよがりしないという独りよがり、孤立しまいという孤立。

心理学によると、自己というのは価値観の作るイメージなのだそうです。価値観とは信念とニアリーイコールです。「これはこういうものだ」という判断基準とでもいいましょうか。出来事を理解する時に使うフィルター、メガネ、モノサシです。

動機がすべて

私たちは信念を持って、それを主張するのが怖いのです。なぜなら、自分の属する大小様々なサイズの社会で、拒絶されたら生きていけないと本能的に感じているからです。

だから大多数がいうように合わせていたら、安心なのではないかと思うわけです。でも、時に、自分の中の危険信号のようなものが「そっちはダメ!」ということがあります。「自分はこう!」というキッパリハッキリしたものがあるわけではなく、「それはちょっと違うんじゃないかな?」と感じたりすることがあります。気のせいかもしれないけれど、勘違いかもしれないけれど、思い込みが激しすぎるかもしれないけれど、なんか違う気がするということがあります。

そんな時、相手を傷つけるためでない限りは、勇気を出してそれを言葉にしてみてほしいと思います。

動機が相手を思いやってのことであればなおさらのこと、あるいはこのままでは相手を嫌ってしまいそうな時、あるいはこのままでは相手を恨んでしまいそうな時、勇気を出して「なんか違う気がする」と信念を持って声を上げてみてください。

そういう、小さな積み重ねが、世界をよくすると、WE GiRLs CANは考えています。

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