「やさしい現実」シリーズ第4弾をお届けいたします。
あなたがここへたどり着いたのは何を探していたからでしょうか。現実が厳しいと感じたからでしょうか。現実はわたしたちが思っているよりも優しいものです。
でも、何か思い通りにならないと思うことがあるなら、それは現実と戦っている証拠です。現実と戦えば必ず負けます(バイロン・ケイティ)。
この記事との出会いが、あなたにとって現実と戦わずにあなたの大事な人生を大切な人々と豊かで穏やかなものとして生きていくヒントになればうれしいです。
長くなってしまったので、2部構成にしました。前編はアニータ・ムアジャーニさんの紹介と左脳と右脳に関する天国や宗教についての理解の違いなどを導入として書いています。後編はアニータさんのメソッドの紹介をします。
本当の自分を生きる
今回は、アニータ・ムアジャーニさんの臨死体験から生まれたメソッドを紹介いたします。
あの世はない、死んだら無になる、臨死体験は死ではないから脳の錯覚だ、こんなのは戯言である、非科学的で信用するに値しないとお考えの方には、何の効果もないメソッドだと思います。あの世があり死後の世界があり魂があり死は終わりではないという大前提のもとに話を進めますので、スピリチュアルが嫌いな方、死後の世界を信じていない方は大切なお時間を無駄にしてしまいますから、どうぞこのまま読み進めることなくウィンドウを閉じてください。
アニータさんと臨死体験
最初に、アニータさんと彼女の体験を紹介します。
アニータ・ムアジャーニさんは、インド人の両親のもとに生まれ、香港で中国人に囲まれて育ち、イギリス人の学校に通って教育を受けたため、クロスカルチャーの豊かなバックグラウンドを持つ女性です。
1980年代のインド文化ではまだまだ女性が高等教育を受けたり職業を持つことはなかったため、その慣習に従ってアニータさんも親の決めた相手と結婚する予定でした。しかし同級生のほとんどはイギリス人で、みな高校を卒業したら大学へ行って働き、自由に恋愛して結婚は最後でしたから、インド人であるというだけで若いうちにほとんど知らない相手と結婚することも、成績が優秀だったにもかかわらず大学で学ぶ機会がないことも、自立心が旺盛なのに働いて自分の力で自分の生活を送ることができないことも、受け入れがたいことだったそうです。でも、そうしなければならないと我慢して婚約し、インド式の盛大な結婚式のために世界中にいる双方の親せきが集まっている式の3日前に、母親に相談して結婚から逃げ出して隠れてしまいます。当然破談となり、このことで親せきや相手の家族に恥をかかせたとして、香港のインド人コミュニティから疎外され、もう彼女と結婚するインド人はいないだろうといわれていましたが、香港生まれで似た価値観を持つインド人ダニーと出会って意気投合し、1995年に結婚しました。
ところが、彼女の親友とダニーの兄弟ががんに罹ったのをきっかけに、がんを恐れて食べものや生活習慣に気を付けるようになっていたにもかかわらず、アニータさんは2002年にリンパ腺がんと診断されてしまいます。香港では最新の西洋医学と、インドでインドの伝統医療アーユルベーダの治療を受けましたが、そのかいもなくがんは進行し、自宅療養中の2006年2月に状態が悪化して昏睡状態に陥ります。彼女はダニーに付き添われて病院に運ばれましたが、すでに打つ手もなく臓器不全が次々と起こりました。医者は彼女を生命維持装置につなぎ、何とか彼女の生命を維持しようと試みながら、家族に「彼女は朝まで持ちこたえないでしょう」と宣告しました。
一方、昏睡状態の彼女はここ何年も感じたことのないほどに体が楽になり、すっかり元気になったと感じていました。それを家族に伝えようとしましたが、誰にも聞こえないようでした。そうこうしているうちに彼女は体を離れ、病室の壁を抜けて病院のあちこちへ行くことができるようになりました。やがて彼女はあちらの世界へ行き、先に亡くなっていた親友に会い、父親とも再会して確執を超えて和解し、自分にはこの世に生まれた理由があること、まだ死ぬべき時ではないことを知り、昏睡状態に陥ってから30時間後に、瀕死の体の中に戻りました。
4日のうちにいくつもあったゴルフボールほどの大きさだった首のリンパがんが70%縮み、やがて腫瘍マーカーもゼロになり、緊急搬送された日からなんとたったの5週間で寛解と認められて退院しました。そこから一度もがんが再発することなく、彼女は元気に暮らしています。
毎年、彼女が死の床からよみがえった2月2日は家族や親しい友人たちがRe-Birthday(再誕生日)として集まってお祝いしているそうです。2026年2月2日は20歳の再誕生日ということになります。
この驚異的な治癒は、彼女が臨死体験中に得た叡智によってもたらされました。それは恐れや不安を根拠に日々の選択をするのをやめ、自分を愛し、のびのびと自分の欲求を選択して生きること。
この彼女の臨死体験を綴った『喜びから人生を生きる! ― 臨死体験が教えてくれたこと』アニータ・ムアジャーニ 著、奥野 節子 訳 ナチュラルスピリット (2013/6/18)、原題『Dying to be Me』by Anita Moorjani, Hay House Inc. (2012/3/1))は世界中で45以上の言語に訳され、各国でベストセラーとなりました。彼女の臨死体験について興味がある方はぜひ読んでみてください。
今回は、アニータさんが自身の臨死体験をもとに、わたしたちが彼女のように「一度死んでから」ではなく、「一度も死なずに」最高最善の自分を生きられるよう指南書として書いてくれた2冊目の本、『What If This Is Heaven?: How Our Cultural Myths Prevent Us from Experiencing Heaven on Earth』注をもとに、前回までの「優しい現実との向き合い方」シリーズの科学的な根拠を織り込んだメソッドとは違う、スピリチュアルなメソッドを紹介します。
本当の自分とは
わたしたちは知らず知らずに、本当の自分をさておき、社会や周りの人たちに合わせて生きています。それは人間が社会を形成する動物であるために、社会の中で生きていくために赤ん坊のころから体得してきた知恵です。
でも、アニータさんは2006年2月にあの世へ行って、生き延びるためにびくびくして周りに合わせて生きているだけでは生まれてきた意味がないということを実感したのだそうです。死んで体のみならず文化や性別や人種、人間関係のしがらみや自分の思い込みから解放され、本当の自分はそんなにちっぽけではないのだと知ったのだそうです。彼女は多くの人が忘れてしまった「本当の自分」を思い出させる使命を胸に、この世に戻ってきたと言います。
注:この記事は英語版『What If This Is Heaven?: How Our Cultural Myths Prevent Us from Experiencing Heaven on Earth』by Anita Moorjani, Hay House LLC (2016/9/13)を元に、わたしが自分なりに翻訳して書いているため、翻訳版『もしここが天国だったら?―あなたを制限する信念から自由になり、本当の自分を生きる』アニータ・ムアジャーニ 著 奥野 節子 訳 ナチュラルスピリット (2016/11/11)出版の表現とは違います。
天国ってなに?
具体的なメソッドの解説に入る前に、天国の概念の共有と、わたし独自の天国の解釈を挟ませてください。
現代の日本人はほぼ無宗教でイベントのみの宗教生活をしていますから、『もしここが天国だったら?』というタイトルはあまり刺さらない人がいるかもしれません。しかし、アニータさんが「天国」という言葉を使ったのには深い理由があるのです。
アニータさんはインド出身のヒンドゥー教徒の両親のもとに生まれ、仏教徒と道教徒の中国人に囲まれた香港で、キリスト教系の学校でイギリス人教師からイギリス人の同級生たちと机を並べるという環境のもと育ちました。そのため、彼女は文化や言葉だけではなく、さまざまな宗教と触れることになりました。ヒンドゥー教、仏教、道教、キリスト教を知っているバックグラウンドのおかげで、日本人にも親しみやすい言葉遣いをしています。
でも、ほぼ無宗教の日本人にとっては、「天国」がどういうものか、具体的にはわからないものだと思うのです。「死んだ人が行くといわれているけど本当かな?」くらいにしか思っていないのではないでしょうか。
そんなに簡単に天国には行けない?!
調べてみると、たいていの宗教の教えや神話の世界では「天国」は死んだ人が行く場所ではなないんです。
天国は天上の神々が住む場所なのだそうです。
では死んだ人間は死んだらどこへ行くのでしょうか。
死後の世界などなく、無になるだけだと言う人もいますが、人間が死後に行く場所の候補は、黄泉の国、あの世、浄土、涅槃、冥土、地獄、奈落、冥界、来世、ニライカナイ、ハデス、彼岸、霊界などなどたくさんあります。無条件に入れる場所もあれば、入るのに条件のある場所、下級から上級と階層がある場所、地獄や奈落のように入りたくないのに入らされる場所もあります。
例えば、わたしたち日本人に親しみのある仏教やアニータさんがご両親から教えられたヒンドゥー教では、天上はインドラやアグニなどの神々や、吉祥天や帝釈天などの天人の住む場所であり、地上のわたしたちは死後はカルマに従って天上に入ることなく輪廻転生して何度も何度も地上に生まれ変わってくると説かれています。そして、生きている間にカルマを解き、悟りを開くとヒンドゥー教なら「涅槃(ニルヴァーナー)」、仏教なら「極楽浄土」に行くことができ、そこで次のカルマに取り組み、どんどん上の階層に上り詰めれば最後は煩悩がなくなり、輪廻転生することなく不老不死となるとされています。だから生きている間は好き勝手やらずに徳を積めと言われます。カルマをクリアしてレベルアップなんて、まるでロールプレイングゲームみたいですね。
キリスト教とキリスト教のもとになったユダヤ教でも、ユダヤ教の神と同じヤハウェを信仰するイスラム教でも、天国は最後の審判が下って選ばれるまでは誰も入ることができない場所です。最後の審判がいつ行われるか、それまでの間死んだ人たちがどうなっているのかはどこにも明記されていないそうで、誰も知りません。ただ、ヒンドゥー教や仏教と違って生まれ変わるという考えはないので、お墓でその日を待っているとされていたりします。これらの宗教も生きている間の行いによって審判が下るので、やはり好き勝手やらずに善い行いをしなさいと言われます。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、バラモン教、ヒンドゥー教、仏教では死んだ後に天国へ行きたければ生きている間は戒律を守ることや努力と我慢と善行と自己犠牲が必要と教えているとわたしたちは信じています。
死ななくても、誰でもいつでも行ける天国
しかし、わたしはキリスト教の開祖イエスも仏教の開祖ブッダも、努力と我慢と善行と自己犠牲をしないと人間は永遠に苦しむとか、地獄に落ちるとかは言っておらず、自分と同じように悟りをひらくことで、生きながらに天国に属することができるよ、と説いているように思えてならないのです。
わたしは母がクリスチャンだったこともあり、2歳くらいから母に連れられて日曜日は教会に通っていました。少し大きくなって1人で通えるようになってからは、教会のお友達と毎週日曜学校と呼ばれる子ども用の教会の集まりに通って聖書の勉強をしたり賛美歌を歌ったりしました。父の転勤で引っ越して母が教会へ通わなくなった後も、わたしは中学に入るまでは近所の教会の日曜学校へ通い続けました。
教会では毎回「主の祈り」という祈りをみんなで唱えます。主の祈りは、イエス・キリストが弟子たちに請われて教えた祈りです。本当に小さい頃から思春期まで唱えていたおかげで、今でもそらで言えるので、英語のタイトルの「What If This Is Heaven?: How Our Cultural Myths Prevent Us from Experiencing Heaven on Earth(もしここが天国だったら?:通説・俗説がどのように地上の楽園(天国)をわたしたちが体験することから妨げるか)」は以下の「主の祈り」の一節につながっていると思いました。
……御国を来たらせたまえ。 御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ
…your kingdom come, your will be done, on earth as it is in heaven.
この祈りには、地上が天国のようになるように、とあります。これはイエス・キリストが得意だったたとえ話の一つでしょうか?いいえ、これは祈りですから、わかりにくいことをわかるようにたとえ話で説明したのではなく、わかりにくいままの祈りだと思うのです。本当に誰もが今すぐ天国を経験することができるという祈り。左脳ではわからない祈り。
左脳の天国、右脳の天国
これまでこのシリーズで何度も脳科学の研究結果として書いた通り、左脳は物語を紡ぎだすのが得意です。左脳はつじつまの合わないことや、自分の理解を超えたことや、とびとびの情報を、独自の物語でつなぎ合わせて筋が通っているかのようにするのが本当に得意なのです。
一見関係なさそうな事象からパターンを見出し、危険を察知して生命を維持したり、上手に獲物を見つけたり農業を開発したり蒸気や電気の動力を発見したりしながら、発展してきました。だから、パターンを見出して物語を紡ぎ出していくことに情熱を傾けています。それまで点と点でしかなかったものが繋がった時には、ドーパミンが放出されて達成感と喜びに溢れます。左脳は過去の経験からくる情報をもとに今起きたことを理解し、将来同じ事が起きた時に備える機能を担っています。左脳は物語式、つまり時系列で物事を理解します。
というわけで、左脳は左脳なりに天国を自分のわかる範囲のものとして理解しようと努力しているのです。
天国とはすばらしく気持ちよくいいところだといわれています。悩みや苦しみや悲しみがなく、開放感に満ちてバラ色でお花畑のようなところ。すでに死んでしまった人たちに会うことができ、天使やユニコーンがいて、地上では聞いたこともないような心地よい素晴らしい音楽が流れていて、人々は優しく叡智に満ち、満足して幸福です。争いや諍いや恨みや妬みがなく、思いやりと共感と感謝と希望に満ちている世界。品があって光にあふれ、恥や罪悪感や嘘や偽りの影もない場所。すべての人が自分らしくいられ、欲しいものは考えるだけで手に入れることができ、思い浮かべるだけでその場所に瞬時に移動し、思い出した人のそばにパッと行ける。
さて、こんな場所があると聞いたら、それはいまわたしがいる場所ではないなと左脳は判断するでしょう。
左脳は、そんなわけで天国とはここではない距離的な隔たりのある「天上の場所」、あるいは今ではない時間的な隔たりのある場所、生きているうちはわからない「死後の場所」である、として理解しています。
左脳はアニータさんに「ここが天国だったら?」と言われても、天国を死んでから行ける天上の場所だと思っているのだから、いったい何の話をしているのだろうと思うことでしょう。天国では悩みも苦しみもなく老病死や恐れや不安から解放されると言われて、「それは地上で非常につらい修行を積んだり、自分の欲を我慢したり、ブッダやイエス・キリストのように恐ろしい魔物と対決したりして悟りを開いた人だけが、死んで天国へ行って悩みや苦しみから解放され、永遠の命を授かるということを意味する」という物語を信じるほうが、理にかなっていると思っています。
しかし、右脳の天国の理解は全く違っています。右脳は感覚的に物事を把握します。実際、前述の天国の説明の文章を読んで天国を想像することで、すでにリラックスしてうっとりしているのが右脳です。思いを馳せるだけでその感覚をすぐに再現することが可能です。天国に思いを馳せれば体の緊張は解け、冷えた手足も温かく感じるでしょう。脳は現実と想像の区別がないので、想起したものにあったホルモンを即座に放出します(「カラダとココロのカンケイ」参照)から、セロトニンが増えてコルチゾールが減るからです。
右脳にとって「天国」は「幸福」に似ていると思います。「幸福と希望」という記事にも書いたのですが、幸福とは、感じる「とある状態」のことだと思っています。感じているということを感じる、あるいは感じているということに気づく、でしょうか。目指すものでもなく、外側にあるわけではないものです。幸せになることもできないし、幸せにしてあげることもできません。ただ好きな相手に幸せにしてあげると言われた瞬間に、「幸せ!」と感じることはできるでしょう。
右脳には「幸せになるための条件」という概念がありません。左脳には過去のデータと未来の予測しかありませんが、右脳には今の瞬間しかないからです。
そのように、右脳にとって天国は、生きている間に徳を積んで善行を積むと入ることが許されるというような場所ではなく、まして死んでからしか行けない場所でもありません。今すぐ感じ取ることができるのが天国なのです。
わたしは右脳の天国の理解のほうが本物の天国に近いであろうと思うのです。その根拠は、ジル・ボルト・テイラーさんの左脳が機能停止した後の体験です。彼女は「I found Nirvana(天国を見つけたのです)」と彼女を一躍有名にしたTEDのスピーチで言っています。
また、彼女は『ホール・ブレイン』で以下のように書いています。
…I perceived the essence of myself as enormous and expansive, and my spirit soared free, like a great whale gliding through a sea of silent euphoria.
自分の本質は、広大で、まるで音のない幸せに満ちた海を泳ぐクジラのように、魂が自由に飛び回っているような感じ。
Whole Brain Living: The Anatomy of Choice and the Four Characters That Drive Our Life, By Jill Bolte Taylor PhD / WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン) 心が軽くなる「脳」の動かし方, ジル・ボルト・テイラー (著), 竹内 薫 (訳)
この体験の表現はアニータさんの臨死体験中の体験と非常によく似ています。
…It was as though I were no longer restricted by the confines of space and time, and continued to spread myself out to occupy a greater expanse of consciousness. I felt a sense of freedom and liberation that I’d never experienced in my physical life before. I can only discrive this as the combination of a sense of joy mixed with a generous sprinkling of jubilation and happiness.
(私はもはや時間や空間という枠に縛られることなく、偉大な意識の広がりに自分を満たそうと広がり続けているかのように感じました。それまでの人生で感じたことのない自由と開放感を感じました。その感覚を強いて表現するならば、歓喜と幸福がたっぷりと混じり合わさった喜びの感覚でしょうか)
Dying to Be Me: My Journey from Cancer, to Near Death, to True Healing, By Anita Moorjani
違うのは、ジルさんが先に死んだ人と会ったと言っていないこと、体を離れて自分を見たと言っていないことなどでしょう。実際、ジルさんは左脳以外の全身の臓器と右脳がまだ正常に働いており、左脳のコネクションが断たれて右脳だけになっただけなので、体の中にはいたのです。
以上のことから、右脳は感覚的に天国と言われる状態を知っている、あるいは右脳は何らかの形で天国と繋がっていると考えられると思っています。右脳から言わせれば、つながるも何も天国から切り離されているということ自体が幻想だということでしょう。
アニータさんもはっきりと本の中で以下のように述べています。
I came back with the understanding that heaven trurly is a state and not a place…
(私は天国とは状態であって場所ではないということを理解してこの世に戻ってきました)
Dying to Be Me: My Journey from Cancer, to Near Death, to True Healing, By Anita Moorjani
また、別の個所にも以下のように書いています。
「God isn’t a being, but a state of being…and I was now that state of being!」
(神は存在ではなく、存在の状態のことで、私は今その状態の存在だ!)
※太字は引用元ではイタリック表記
Dying to Be Me: My Journey from Cancer, to Near Death, to True Healing, By Anita Moorjani
では、なぜ人類が長い時間そのような誤解をしているかといえば、先に述べたように左脳が知っていることを総動員して理解しようと一生懸命考えたからでしょう。そして、その考えを我々人類が代々語り継いでいるからでしょう。決して左脳がバカなのではありませんし、ましてやその担っている大切な機能を考えれば、なくしてしまえばいいというものでもありません。自分の限られた経験だけでは理解できないこともあるということを、左脳が受け入れてくれるといいなと思うのです。
学習
わたしたちはみな、文字通り丸裸で生まれてきます。何の偏見もなく、すべてをあるがまま受け入れていますが、だんだんと「これはこういうもの」という「知識」を蓄えていきます。それらは、生きるのに不可欠な情報もあれば、ある人にとっては生きることが困難になる情報であることもあります。
例えば、親の親の親の親の親の親の親の親の親がずっとそれを恐れていれば、それは恐れるべきものとして受け継がれます。社会全体が恐れるに至ったものは、その社会に生まれれば、それを恐れるのが常識となり、恐れるよう教育を受けます。何も知らない無垢な存在としてわたしたちは赤ん坊をみなしていますから、赤ん坊を守るために恐れるべきものを教えるのです。ケガしないよう、傷つかないよう、全力で守ってあげようと「ダメ」「危ない」「~しなさい」「そんなことはそう決まっている」とこの世の先輩たちは諭します。愛されないことを恐れている先輩に囲まれて育てば、恐れるべきは愛されないことだと。馬鹿にされることを恐れている先輩に囲まれて育てば、恐れるべきは馬鹿にされることだと。その恐れて生きる姿を見て体得し、諭されて学び、わたしたちは後輩として育っていきます。
アニータさんも、この本のイントロダクションの前に、詩の形でそのことをこのように書いています。
When I was born into this world
The only things I knew were to love, laugh, and shine my light brightly.
Then as I grew, poeple told me to stop laughing.
“Take life seriously,” then said, “If you want to get ahead in this world.”
So I stopped laughing.
People told me, “Be careful who you love
If you don’t want your heart broken.”
So I stopped loving.
They said, “Don’t shine your light so bright
As it draws too much attention onto you.”
So I stopped shining
And became small
And withered
And died
Only to learn upon death
That all that matters in life
Is to love, laugh, and shine
our light brighly!―ANITA MOORJANI
“What If This Is Heaven?: How Our Cultural Myths Prevent Us from Experiencing Heaven on Earth” by Anita Moorjani, Hay House LLC (2016/9/13)
(わたしがこの世に生まれてきたとき、わたしが知っていたことは愛すること、笑うこと、そして自分の光を輝かせることだけでした。大きくなるにつれ、みんなは笑うのをやめるよう言いました。「もっと深刻になりなさい」そして「出世したいのならば」と言いました。だからわたしは笑うのをやめました。
人々は傷つくのが嫌なら誰かを愛するのをやめたほうがいいと言いました。だからわたしは愛するのをやめました。
彼らは要らぬ注目を集めてしまうからキラキラ輝くのはやめたほうがいいと言いました。だからわたしは輝くのをやめ、そして小さくなって、そして衰弱して、そして死にました。
その死は、人生で何にもまして重要なのは愛し、笑い、そしてまぶしく輝くことであると学ぶための死でした!)
もちろん、いいものもたくさんあるのですよ。例えば、物語が紡ぎだすかけがえのない感情のようなものたちのように。
後編のアニータさんのメソッドの紹介へと続きます。




