幸福と希望

4.5
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幸福とは何か

私たちは幸福の正体を知らないまま、幸福を追い求めてしまいがちです。

山のあなたの空遠く、

「幸」住むと人のいふ。

ああ、われひとと尋めゆきて、

涙さしぐみ、かへりきぬ。

山のあなたになほ遠く、

「幸」住むと人のいふ。

カール・ブッセ
上田 敏 訳

わたしは、幸福とは取り出して眺めたり観察することのできる「対象」ではないと考えています。なので、目指すことはできないのだと思います。
では、幸福とは何かというと、感じることのできる「状態」です。

カール・ブッセの上の詩のように、自分の中に感じることをせずに外にあるものとして考えていたら、永遠の無い物ねだりとなるでしょう。

変わらないもの

状態というのは、変化します。
例えば、水は液体になり流れ、個体になり固まり、蒸気になり漂います。温度によって状態を変化させますが、水であることは変わりません。

幸福は気分という変化するものの状態の一つです。
わたし達は日々幸福になったり不快になったり愉快になったりしますが、それは周囲の状況と感じる当人の価値観に照合して引き起こされる気分というものの状態の一つです。
同じ状況にいても違う気分になる人がいるのは、その人の価値観が違うからです。

そして、永遠の幸福感が不可能なのは、状況が変わるからです。

わたし達は、状況の変化を比較することで認識します。
過去と比較したり、周囲の人たちと比較したりします。

比較した後、自分の価値観に照合し、価値判断をして優劣をつけることもあります。
「誰々より多いから良い」「昨日より減ったから悪い」など、そこに良し悪しを付与すると、いい気分になったり、嫌な気分になったりします。

例えば、自分の価値観に「女性は女優やモデルのように美しいのが良い」というものがあったとしましょう。
誰か理想とする人と比較して、自分がその人と違う点を認識します。
身長、体重、鼻筋、目の形などなど比較して、変えられない差のある部分にフォーカスが当たります。

これが、「山の彼方(あなた)」なのです。彼方とは時空間的に遠い場所のことです。
理想を自分と遠くに置くとき、それがなければ幸せになれないのだと決めているのは、わたし達自身なのです。

水は蒸気になる温度を選択することはできませんし、氷になる温度も選べません。

しかし、わたし達は憧れの女優と違う見かけでも、態度を変えることで、どんな気分になるかを決めることができます。

希望

さて、態度を変えるとは何でしょうか?

一つは「努力してみよう」と決心して何かを始めることかもしれません。

例えば、ダイエットをする、運動をする、メイクの研究をするなど今の状況を変える何かを始めるのも一つの手です。

状況を変えようという態度が気分を変えるわけです。
自分にも何とかできそうだと思えば希望が湧いてきます。

落とし穴

しかし、理想と差があると幸せになれないと決めているわたし達にとっては、どんな努力も結局は幸福感をもたらさない、ということがあるかもしれません。

理想に近づいてもそれが評価できず、不安や心配だったら、幸福感は訪れないでしょう。

どんなに努力しても、満足しないし、常に不安や心配がまとわりついて、疲弊してしまうかもしれません。
真面目で努力家であればあるほど、あるいは努力すれば何とかなるという希望をより強く感じた人ほど、痛々しいほどの努力を重ねていってしまうかもしれません。

では、どうすればわたし達は幸福を感じることができるのでしょうか?

フォーカス

幸福は状態です。気分です。感じる気持ちの状態です。
状態を再現するために、理想という目標を掲げて努力すると、幸福ではない状態になります。

努力して頑張っている満足感とか、希望に満ちて明るい気分とか、そういう気分になります。

何か一つにフォーカスしている意識体は、他を認識しません。

面白い例えがあります。
あるとき、友人と4人で映画を観に行きました。
わたしはフリーター時々バックパッカー、他の人たちはパッケージデザイナー、エディトリアルデザイナー、新聞社のデザイン部にいる人でした。
映画が終わってそれぞれ感想を話しながらご飯を食べたのですが、みんな見ているところが違ってびっくりしたものです。

パッケージデザイナーはカメラの切り取り方や色使いのことばかり話していました。エディトリアルデザイナーは洋服、家具、壁にかかっていた絵、食器、ネイルの色、髪型、車種や車の色の話をしていました。新聞社のデザイン部の人は、ストーリーのわからなかったところや、登場人物の言動の疑問点を質問してばかりいました。
わたしは主人公の気持ちばかり覚えていて、みんなの話を聞きながら、ただただ驚いていました。

わたし達は同じ映画を見たのかどうかすら疑わしいくらいに、お互いに相手が話していることがわからなかったのです。

わたしの感想を聞いたとき、1人が「へぇ、あれってそういう映画だったんだ」といったのが今でも忘れられません。

これは、価値観が違うとものの見え方も変わってしまうという、とてもいい例だと思います。
わたしの価値観は世界そのものとは違う、色んな世界観の中でそれぞれの人が価値判断をしながら生きているのだ、ということを知った瞬間でもありました。

理想はそうでも、必ずしもそうじゃなくてもいい

価値観はアイデンティティの礎でもあります。
差異は認識のためのきっかけでもあります。
理想は価値観の指標になります。
アイデンティティや理想や個々人の差異は、幸福に貢献する道具ではないでしょうか?
目的地があるとして、そこへ行くために飛行機か電車かに乗るようなものです。

幸福を追求するということは、人の権利の代表です。

その方法の違いによって、人は争いを起こします。

幸福とは何かを考えもしないで、方法についての争いをし、命をかけることすらあるのです。

幸福

幸福とは、一体何でしょうか?

おそらく、わたし達一人ひとりが一度は感じたことのある、感覚なのだと思います。
それを再現しようと、同じ行為を繰り返してみる、再現できなければ貪ってみる。それでもダメなら人のせい時代のせい社会のせい自分のせいにしてみる。

満たされ、安心し、明るく、軽やかで、平穏な気分。

「あ〜、幸せだなぁ」とセリフが浮かぶような状態。

セリフの部分を読んだだけで、思い出してリラックスして、幸福を感じてしまった人はいませんか?

幸福とは消えて無くなるようなものではなく、たとえ不幸の真っ只中にいると思っている時でも、どこかに幸福の気分はあって、フォーカスされていないだけなのだと考えています。

もちろん、他の気分や感情も大事ですから、大いに泣き、怒り、落ち込み、驚き、喜怒哀楽で人生を味わいましょう。

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