自己肯定感とネガティブ思考

自己肯定感とネガティブ思考

いわゆる「改善」というときの人間の思考の癖の中に、「悪いものを切り捨てる」という考え方のパターンがあります。
例えば、嫉妬は悪いものだから嫉妬するのはやめようとか、怒りは悪いものだから怒らないようにしようとか、そういったものです。

でも、嫉妬も怒りもネガティブながら必要だから存在しています。
抑えた欲望や感情は激しさを増すということからうかがい知ることができるように、抱いてしまった感情はその存在を認めるしか解放される道はないのです。

自己肯定感を持つことの良さについてはここでは語りませんが、ネガティブに考えて自分はダメだとか思ってしまうことが良いことのようには思えないのも確かです。
自己肯定感を持とうとすると、普通はネガティブに考えてしまう自分を責めてしまうという悪循環に入ります。

なぜこんなことが起きるのかというと、私は、人が何かを認知するとき、認知されたものとその反対のものというものが必ずセットで存在するからではないかと思っています。
ヘーゲルの弁証法です。
「aであるもの」を認知すると「aではないもの」も一緒に立ち現れます。
ポジティブであろうとするとその対になるポジティブではないもの、つまりネガティブであるというものも同時に認知されます。
ネガティブを排除しようとすればするほど、ネガティブではないもの、つまりポジティブであるというものも同時に排除されます。

WE GiRLs CANはジェンダーの活動においては、かつて原理主義的な男性排除のウーマンリブが陥っていた罠のように、女性が平等に社会で扱われていくためには、そうならなかった要因のすべてを否定するのではなく、その時には必要だったもので、今はそれほど必要でなくなったものくらいにとらえておくことで、エンパワメントにおける浮力を得ると考えています。
それは男性社会を悪者にして糾弾するウーマンリブ運動ではなく、フェミニズム運動という女性差別に反対する男性を含んだもののような感じでしょうか。

もっと混乱するようなことを言えば、反対物を排除するということ自体も排除しないところまでいければ、なおよいのだろうなと考えている最中です。