バックラッシュにもいい面がある

バックラッシュにもいい面がある

バックラッシュ

バックラッシュとは、反動のことです。
大きな変化の流れには反動がつきものです。
エネルギーはいつもバランスを取ろうとしています。
大きな変化を遂げると、大抵の場合はどこかにひずみができるのか、必ずバックラッシュが起きるものです。
でも、一度変化が起きたものは例えバックラッシュが起きて元に戻ってしまったように感じたとしても、本当に全く同じ状態に戻ることはありません。

アメリカでオバマ元大統領が作ったリベラルな流れのバックラッシュ

先日、アメリカで現在の政権の評価を問う中間選挙が行われました。
2年前の大統領選挙の後の2年間、オバマ政権で起きた変化とその後のトランプ政権の後退の様子はまさにバックラッシュを感じさせるものでした。
オバマケアと言われていた人道的な医療費に関する政策も、女性の地位に関する姿勢や政策も、人種や移民に関する政策も失われ、まるで南北戦争時代や公民権運動前の白人至上主義に戻ってしまったかのようにすら感じることがありました。
とりあえずは下院で民主党が過半数を超え、トランプ政権の暴走を食い止めることができそうな気がしています。

3歩歩いて2歩下がる

この選挙結果を見るにつけ、バックラッシュがあって何もかも元に戻ってしまったわけではなく、むしろ確実な1歩が残ったために得られた下院の民主党過半数越えと考えていいのではないかと思うのです。
3歩歩いて2歩下がると、1歩は確実に進んでいるんですよね。
理想が大きいと2歩下がったことに対して歯がゆい思いをしますが、理想が大きい場合はむしろ1歩でも確実に進むことを評価し続けるという態度が必要となります。
オバマ政権が蒔いた種は全部が死んでしまったわけではなかった!

古き良きアメリカ、古き悪しきアメリカ

アメリカの不思議なところは、革新的で進歩的な力と妄信的で保守的な力が共存しているところです。
自由の国というイメージが強いですが、実際に住んでみると「古き良き」にしがみついて他人にそれを強要する輩も少なくないのです。
だから、バックラッシュは必ず起きます。

テイラー・スイフトという1歩

このブログでも書いたことのあるテイラー・スイフトが保守的なカントリーミュージックの世界に居ながら、トランプの共和党ではなく民主党に投票することを表明し、若者へ投票を呼びかけたことは、日本のテレビでも取り上げられていたので知っている方もいらっしゃることでしょう。
テイラーが訴えたポイントはいくつかあります。

  • あらゆる差別を良くないと考え、差別を法律化する政党を支持しないと表明したこと
  • 選挙に参加しないことの影響力について考え、若者へ参加を呼びかけたこと
  • 地位や人気を失うリスクを冒してでも、勇気を持って自分の正しいと思ったことを表明することを選んだこと

これは、テイラーのセクハラ裁判の時にも見られる彼女の「勇気」です。
テイラーがそのような行動にでる勇気を持った背景には、

  • 1960年代にやっと公民権を得た黒人が史上初の大統領になったこと
  • その政権下で一度は差別のない世界の実現が近づいたと思えたこと
  • 選挙には敗れたものの、アメリカ建国以来初の女性大統領候補であるヒラリー・クリントンがいたこと

というような変化の流れが確実に残した1歩、進歩があると考えています。
どれも20年前には想像できなかったことです。
たとえ今はそれが失われているように見えたとしても、それができたということが残した希望の光は消えていないのだと思うのです。

新しき良きアメリカ、新しき悪しきアメリカ

私は逆説的な意味でバックラッシュがなかったら、テイラーの若者へ投票を勧める運動も、オバマ政権のようなリベラルな政情のままであれば、起き得なかったと考えています。
なぜなら、オバマ政権の中間選挙においても、若者のみならず年配の人々もリベラル派も色々なことを政治のせいにしていたからです。
オバマ元大統領のキャッチフレーズは「Yes, We Can」でした。どこかで聞いたことのあるような(笑)。
彼は「I」ではなく「We」と言ったのです。
一人でアメリカを良くするとは言っていませんでした。
なのに、国民は受け身で自分のこととしては捉えませんでした。
トランプ政権になって、一度は夢が実現し始めたかのような差別の少ないアメリカが差別を再開しました。
オバマ政権の時のように、トランプ政権が悪いというのは簡単です。
誰が政権を握っても何も変わらないし良くならないと諦めて、自分たちの権利と共に自由も希望も放棄してしまうのは簡単です。
でも、トランプ政権のおかげで、良くならない、変わらないどころか、悪くなることもあるのだ、ということを一人でも多くのアメリカ人が感じたのだとすれば、バックラッシュも悪くないのではないでしょうか?

望まない結果は次の選択のための条件に過ぎない

何かを選択し、その選択の結果に責任を持つのは、幸せを実現するための唯一の方法です。
そして、結果を条件に新たな選択を常に繰り返して前に前に進むしかないのが私たち人類の宿命なのです。
人類とは永遠の選択と永遠の主体なのです。
それはたとえ「私」が「私たち」となっても変わりません。
選ぶことができる限りは、そのギフトでできうる最高の選択をしたいものです。
先ほどの「Yes, We Can」もそうですが、この任意団体も「WE GiRLs CAN」(私たち女の子はできる)と言う名前です。
勉強会は私が一人でレクチャーをする会ではなく、私たちがみんなで知恵を絞っていく会です。
場所と機会を作りますので、ぜひ参加して変化を一緒に起こしてみてください。