壮大な問題に取り組むの中編です。前編はこちらにあります。
差別問題に取り組む1
環境問題は結果がすぐに出ない上、スライドパズルのようにこちらを立てるとこちらが立たないといったような手強い問題でしたが、差別もなかなか手強い問題です。 環境問題は「自然環境という生物学的・物理学的反応」対「人間の生産・経済活動」という組み合わせですが、差別問題は「人間(個人心理)」対「人間(集団心理)」という組み合わせです。 人間の心理は、生物学や物理学や生理学といったものよりも科学的に客観的な観察をするのが難しい研究対象です。なぜなら観察者も観察される側と同じ人間だから、切り離すのはとても難しく、かつ観察することで影響を与えてしまったり、判断しようとするだけで観察者の価値観や思い込みがどうしても入ってしまうからです。
人間の命には「私とは何者か?」という問いが含まれている
わたしたちは「ある日気がついたら存在している」ような存在です。 わたしは、これに気づくことなく生きているのがほとんどの人たちだと考えています。
「私」が存在しているとは一体どういうことだろう?かつて、こんな問いに取り憑かれた哲学者や科学者や神学者や宗教家がどれほどいたことでしょう? その問いを、別の言い方にすると「私とは何者か?」「私はどこから来て、どこへ行くのか?」「生きるとは何か?」「何のために存在するのか?」などいろいろな形になると思います。 そういった問の答を自力で見出そう、創造しようと行動を起こしていく人たちもいます。
我思うゆえに我あり(コギト エルゴ スムCogito ergo sum)と17世紀の哲学者デカルトは言いました。これはデカルトが見出した一つの答でしょう。
自分の存在に気づく
哲学者にして数学者、音楽、医学、論理学、幾何学、気象学、占星術まで学んでいたデカルトは「思う」という行為の中に私という人間がいると感じ取ったのでしょうか。でも一般人はどうやって自分が存在しているということに気づくのでしょうか? わたしはデカルトほどの深さはなくとも、どんな人も「差異に気づくこと」によって自分が他と違うものとして存在していることには気づいているのだと考えています(ただ、自らの存在に気づいているという事実の凄さにデカルトのように気づいていないだけで)。 それは、相対的に自然発生的に認識されているのではないかと思います(この辺りはここでは深く追わないことにします)。そして差異を認識するための基準の殆どは生まれてきた社会の文化の中に既に用意されています。相対とは「互いに他との関係をもち合って成立・存在すること。」(大辞林)ですから、少なくとも「私」と「私ではないもの」の認識が必要となります。 赤ん坊がどのようなきっかけで周りの大人たちと自分の差異を認識するのかはよくわかりませんが、わたしの想像では大人からの働きかけによると考えています。
自己認識はどのように働くのか
弁証法的に、ものが認識されるときには「aであるもの」と「aではないもの」という相反するものを比較する形で行われると考えてみましょう。
例えば「私」を認識するために「私」と「私ではないもの」を比較すると、自分を認識することができるという考え方です。
既に社会に用意されている認識のためのシステムを使うと、とても簡単です。例えば、生物学的な男女差、年齢差からはじまり、家族内でのポジション(親子、兄弟など)、社会的地位や人種などもすぐに決まります。この基準は既にシステムとして働いているため、「生殖器とはどの部位のことを指すか」「どんな形状のどんな機能を果たすものをどのように分類するか」「男とは何か」「女とは何か」といった定義や大前提の共有をする必要がありません。
そういった差異を認識することで、少なくとも「私とは何者か」という問いにある程度は答えることができるような気がします。この基準に従ってわたし自身が今ここでそれをやってみましょう。わたしは生物学的にはヒト科のメスですので、女性であるといえるでしょう。年齢は西暦というシステムを使ってカウントすると生まれてから50年経っていますので50歳です。家庭内でのポジションは生家では娘で妹で末っ子です。社会的地位は自営業の個人事業主という分類になります。人種は黄色人種の特徴をもっともよく表していますので黄色人種ということになるでしょう。
分離と統合
これらの基準を使うととっても簡単に差異を見つけ出して自分を定義していくことができます。しかし、一方でこの差異を認識することによって、わたしたちは「分離」されていきます。あるいは、どこかのグループ(カテゴリー)に分かちがたく「統合」されていきます。 事実わたしの定義を読んでわたしと親近感(「私も末っ子」など)を感じたり差異(「かなり年上だ」など)を感じたりしたのではないでしょうか。
自分が何者かを知れば知るほど「分離」は進みます。 自分が何者かを知れば知るほど「統合」も進みます。
ちょっと長かったので、3編に分けました。後編はこちらです。