2016年、女たちは黙っているのをやめた
2016年は女性たちが女性蔑視を黙っているのをやめた年といってもいいかもしれません。
私はポップミュージックが好きなので、同年に大きな波になった女優たちのMeTooやTime’s Upよりも、ミュージシャンたちの裁判に大きく心を動かされました。
ひとつはKeshaの裁判でした。
10年にわたってプロデューサーであったDr.ルークというDJから性的虐待を受けてきた彼女が、残りの契約を破棄したいと裁判を起こしましたが、敗訴し、それに対してレディーガガをはじめとする多くの女性ミュージシャンがKeshaの支持を表明しました。
これはレイプという事実があり、戦うに値すると誰もが納得する戦いでした。
もうひとつは、テイラー・スイフトの裁判でした。
テイラーは握手会で司会のDJにスカートの下からお尻を触られたことに対してテイラーが慰謝料1ドルで裁判を起こしました。
テイラーは昔から歯に衣着せぬ物言いをするため、叩かれることも多いアイドルです。
もうアイドルと呼べないくらいの大人の女性になりましたが、なんでもヒステリックに大げさに騒ぐといって「ドラマ・クイーン」(悲劇のヒロイン)というあだ名をつけられたりすることもあります。
そこで、お尻を触られたことを訴えたのです。
大げさだと言われることは目に見えているのに!
こちらは「セクハラ裁判」という呼び方をされています。
レイプされても被害者バッシングをする人々がいるような世の中で、お尻を触られたことを裁判で訴えるという勇気!
でも、これがどんなに大事なことかを私はこの裁判に関する記事をいくつも読んで理解しました。
声をあげていい
テイラーは”serve as an example to other women who may resist publicly reliving similar outrageous and humiliating acts.”(他の女性が同じように侮辱をうけたりひどいことをされたときに、堂々と抗議する例となって役立てばよい)とたった1ドルの慰謝料で訴えたのだと言っています。
これは、モラハラを受けて私が学んだことともとてもよくつながっています。
自分の意見や異論を唱えると「怖いヒステリックな女だ」とニヤニヤしながら言うのは、そうすることで自ら女として好かれるために自分の意見や気持ちを伝えなくなるように仕向けられているのをとてもよく実感しました。
テイラーはそういったものに立ち向かっています。
このテイラー・スイフトのセクハラ裁判について初めて読んだとき、
体を勝手に触られることを黙って耐えていなくてよいんだ
私の中の何かがおとしめられたと感じるのは当然なんだ
ということを感じ、しばし泣きました。
女性が性的に魅力的であるという言い訳
ハリウッドでもアリッサ・ミラノがMeTooというハッシュタグを使って声を上げました。
それを受けてたくさんのことが起きてきたのはニュースの通りです。
一方で、日本では伊藤詩織さんの事件のように被害者を糾弾するという動きが出ます。
私も電車の中での痴漢や性的ないたずらをされたことが何度もあり、身近な人に被害を訴えたら「あなたにスキがあるのが悪い」と言われたこともあり、このバックラッシュは何だろう?と長年腹立たしく苦々しく思ってきました。
男の人に「性的に女性が魅力的であるからレイプ・痴漢・いたずらしてしまうのだ」と言われたら、そんなに腹の立つ言い訳はないと思います。
「そんなコントロールできない性欲なら、必要ない限り男が女性ホルモンを打ってくれれば世界は平和になる!」と怒鳴り返したくなります。
同性からのバッシングとサポート
ことはそんなに単純ではなく、恐ろしいことに「あなたにスキがあるからいけない」と言ってくるのは同性なのです。
声を上げることや、賢いことや、優れていることを「女としては魅力がない」と信じている女性たち、男に嫌われたら生きていく術(経済的な)がなくなると恐れている女性たち、好きでない男性に性的欲求を向けられるのは自分の危機管理不足と信じている女性たち。
だから、このMeTooムーブメントを見て私が希望を見出しているのは、女性同士の連帯なのです。
従来の
声を上げたら「可愛くない女」として男にモテなくなる
という公式を
女を侮辱したら「ひどい男」として女に愛されなくなる
という公式に変えようとしているように見えます。
しかし、どの力関係も力関係でしかありません。
この先に、男女差が力関係に陥らずに横並びの同志としてそれぞれの特徴を生かして助け合うだけの世界が待っていることを祈ります。