知能と幸福

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人が同じ場面や状況・環境で幸福を感じるかどうか。これには大きな個人差があると感じます。わたしは比較的簡単に幸福を感じやすい方だと自認していますが、それは自覚して獲得した能力だと自負しています。思春期から青春期にかけては、非常に深刻に物事を捉えており、ペシミスティックな構えをしていました。世界は人間関係におけるお互いに対する義務と義理で縛られており、気がついたら生きていたので仕方なく生きていると考えていました。

転換期は二十代の終わりに訪れました。それまでと変わって、ほとんどのことは大したことではないし、世界は義務や義理という因果のルールではなく、物理的な因果のルールによってわたしの知らぬ間に完璧な秩序を保っているし、実は自分は生まれたくて生まれてきたのかもしれないと思うようになっていきました。それは沢山の出会いや挫折がわたしに見せてくれた新天地でした。そこから考え方の癖を変える努力をして、世界の見え方を変え、感じ方を変え、小さなことから幸せだなぁと感じる筋肉を鍛えました。

幸福筋

イメージトレーニングの効果については多くの人がご存知だと思います。近年ではMRIなどの技術が進んできたため、生きたままの脳の内部で起きていることが調べられるようになってきています。例えば次のようなことが明らかになっています。

ピアノを練習した場合とピアノなしでイメージトレーニングだけした場合では、まったく何もしなかった場合と比べて、どちらも同じように前頭葉の一次運動野に変化が起こることがMRIを使った研究で明らかにされています(出典:Dr. David R Hamilton blog「Does your brain distinguish real from imaginary?」)。

イメージトレーニングで脳を鍛えることで鍛えられるのは脳に限られません。

怪我などでギプスをはめた期間に固定された部位の筋肉が弱るという経験をした方もいると思いますが、この間に動かすイメージトレーニングをした人たちは、まったくしなかった人に比べて筋肉量が減らなかったという研究結果があるそうです(出典:WIRED.jp「弱った筋肉には「イメージトレーニング」が妙薬」)。

つまり、イメージトレーニングは脳細胞だけではなく、筋肉も鍛えてしまうことがわかっているのです。そして、さらにはイメージトレーニングで幸福感をも鍛えられることがわかっています。

2016年に自然科学研究機構 生理学研究所が調べた「幸せ感情」と「幸福度」の生理学的基盤についての研究は、幸せだという感情が想像によって繰り返し感じられることで持続的な高い幸福度と幸せの感じやすさにつながるという結果を報告しています。前頭前野にその部位があり、実際に筋肉のように幸福を感じる脳の部位を鍛えられるということがわかったといいます(出典:マイナビニュース「幸福度の高い人ほど内側前頭前野の一領域の体積が大きい – 生理研発表」)。

こうして見てくると、イメージトレーニングに大きく関与しているのは脳の中でも特に前頭葉のようです。「カラダとココロのカンケイ」で取り上げた「現実と想像の区別がつかない」場所も前頭葉でした。

前頭葉が現実を作り上げている?

「変化の時~ポストコロナに寄せて」でも紹介した、ジル・ボルト・テイラー博士は、自身が脳内出血により脳の左半球の機能を失った経験から、残った右の前頭葉は物事をあるがままに受け取る器官だったと言っています。

この経験をもとに考えると「イメトレで筋肉や幸福感さえ鍛える」部位は左側の前頭葉であろうと推測することができると思います。

ボルト・テイラーさんによると、左前頭葉の機能を失って、一緒に失ったのは「個(自分と自分でないものの境)」の感覚と「時間(直線的な現在過去未来の流れ)」の感覚だったと言います。脳の右半球の機能として残ったのは、無限に拡張された意識と生きていることの大きな喜びだったそうです。何もできなくなったことを嘆く気持ちも考えもなかったということでした。

つまり、理想(未来)と現実(現在)の比較(自他区別)をして問題を感じ、問題意識をもとに理想に向けてコツコツ努力を重ねて、理想を現実化(過去と現在の比較による評価)させているのは左前頭葉であるというわけです。

ボルト・テイラーさんはそれまで持っていた記憶を無くしてしまったわけではなかったそうで、格納されたメモリーにアクセスできないという感覚だったと説明しています。しかし、できごとの記憶にまつわる感情的な記憶は戻ってこなかったそうです。既に格納されていた過去のできごとにまつわるネガティブな感情がまったくなくなったのはよかった、例え良い感情の記憶もなくなったとしても、と言っていました。

8年間かけて左右の脳の統合を修復する間、彼女は右脳とのコネクションを減らさないようにしたそうです。左脳に偏ることが幸福や生きる喜びや世界との一体感から自分を遠ざけていたことに気づいたからです。

しかし、生命を維持し、社会の一員として生活するためには左脳の機能は欠かせないものだと彼女は言っています。左の脳の機能に偏ることで、わたしたちは不安を抱え「何がなんでも生き延びたい!」「そのためにすべてを思い通りにしたい!」という思いに駆られるようです。

思い通りにしたい!

この「思い通りにしたい」という左脳の思いは、自分のことだけを考えていると批判されがちです。しかし、この近視眼的な自分勝手には理由があるようです。

生命維持のために最初に起動するのは左の大脳辺縁系の扁桃体や海馬といった感情をつかさどる部位です。ここは危機管理センターですから、外部より受けた刺激を基に過去の似た感情の記憶を頼りに危険か安全かを判断します。もし、危険を察知したら直ちに叫び出します。

この大脳辺縁系も左右で役割が違うとボルト・テイラーさんは言います。左は前述の通り生命維持に関する働きをしますが、右は興味や好奇心に関する働きをするのだそうです。

さて、左の大脳辺縁系が発した危険信号を処理するのは上に乗っている左の前頭葉です。左前頭葉はアラートに従い、これまでの経験や知識から対策を立て、問題解決を図ります。

左の前頭葉は問題を解決するために経験値を頼ります。この経験値を「結晶性知能」と呼ぶことができると思います。結晶知能とは、人間の2種類ある知能のうちのひとつとされています。心理学者のレイモンド・キャッテルによって提唱された考えで、

個人が長年にわたる経験、教育や学習などから獲得していく知能であり、言語能力、理解力、洞察力などを含む。

健康長寿ネットより

と定義されています。

前出の健康長寿ネットの結晶性知能の説明の続きに、

一方、流動性知能は、新しい環境に適応するために、新しい情報を獲得し、それを処理し、操作していく知能であり、処理のスピード、直感力、法則を発見する能力などを含んでいる。

とある通り、流動性知能は新しい事柄に対応していくことが可能なのだそうです。新しいことを学ぶ知能ですから、歳をとるごとに発達しなくなっていくと言われます。

結晶知能は学習したことを使っていくので安心感があり非常に便利ですが、偏見・バイアスにつながり、知っていることに限定されるため、その処理能力には限界があります。

一方、流動性知能は直感を働かせるので処理や発見のスピードが速く、目の前の現象に興味を持って観察します。結晶知能と違い、思い込みに惑わされていないため、正確に現状を把握できます。ただ、怪我などのリスクについては考慮できないようです。

わたしたちが「思い通りにしたい」という思いが強いときに陥っているのは、結晶性知能の範囲で自分は何でも知っており、それらを応用すれば万能であるというバイアスに気がついていない状態ではないでしょうか。かつて「村の神童」と呼ばれた父も認知症になって、自分の認知症を素直に認めることができず、自分の認識に合わない現実を自分の知っている知識に合わせるために作られた幻の病院を探して自宅の周囲を一日何時間も、数日間彷徨い歩きました。

トランジション

「老いとアイデンティティ危機」で書いたように、わたしたちは常に変化しているため、アイデンティティーを手離さなければならない場面を人生の要所要所で迎えます。

ビジネスマネジメントの世界では現代を「VUCA時代」と呼んでVolatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)に対処するためにアンラーニングを提唱しています。

しかし、実際には「変わらないものがないということだけが変わらない」のであり、わたしたちはどんなに膨大な過去のデータとAIを駆使しても、自分たちも含めてすべてが永遠に変化し続けていることを認めなければ、何に対してもうまく対応できなくなる運命にあると言えるのではないでしょうか。

もし、わたしたちがこの世を今までのまま「思い通り」にするためにアンラーニングをどんなに行っても、わたしたちは決して幸福を感じることはないでしょう。

もううまくいっていない社会のシステム(=社会のアイデンティティー)を手離さなければ、わたしたちは幸福を感じることはできないでしょう。

認知症になった父はアイデンティティーをひとつ失いましたが、一人の人間であることは変わりません。「私」が「私らしく」感じられなくても、「私」が「私」ではなくなることはないのだと思います。文字通り、「私とは○○である」の○○は変化しても、「私」の部分は変えられない「意識体」なのだと思います。

社会のシステムや価値を大きく変えたところで、わたしたちは「人類」であることに変わりはありません。平和や安心や幸福のために創り出したものに縛られたりしがみつくのを一人ひとりがやめることができれば、平和と安心と幸福を感じるのは、今すぐできることなのかもしれません。

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